淀川は古代から摂津・河内・山城の境界を流れ、瀬戸内海と京都を結ぶ主要水運路として栄えた。平安時代には旅人に酒食を売り歩く「くらわんか舟」が往来し、近世には大坂〜伏見間を三十石船が定期運航されて商人・旅人・参詣者を運んだ。松尾芭蕉や十返舎一九など多くの文人も淀川を下って大坂へ旅し、旅行記・俳句・浮世絵の題材となった。明治以降は近代的な治水・護岸工事が進み、1896年(明治29年)には洪水対策として現在の新淀川(新河道)が開削された。高度成長期には工場排水による水質悪化が問題となったが、浄化活動により大幅に改善。現在の河川公園は桜・花火・スポーツの場として市民に親しまれる。