善防山城は室町時代、播磨国の守護を担った赤松氏の支城として築かれたと伝わる。標高251メートルの山頂部には曲輪・堀切・土塁が設けられ、加古川流域を制する軍事拠点として機能した。南北朝期には赤松則祐らが勢力を伸ばした際に重要な役割を果たしたとされ、後に国人衆による争奪の舞台となった。戦国期に入り赤松氏が衰退するにつれ城の維持も難しくなり、廃城の時期は定かではないが16世紀中頃には機能を失ったとみられる。現在も山頂付近には大規模な堀切や多段の帯曲輪が残存し、中世山城の構造を今に伝える遺構として評価されている。