JR長野駅からバス約15分
長野県長野市元善町491
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この地で詠まれた句
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善光寺や灯籠もなき春の山
善光寺周辺の春の山を詠んだ一茶の句。人工物のない素朴な春の景観への親しみが滲む。
穢れ祓い・心身の浄化・邪気払い。禊(みそぎ)や護摩の伝統に連なる。
御祭神「一光三尊阿弥陀如来」のご神徳に由来
長野市に位置する無宗派の単立寺院。本尊は「一光三尊阿弥陀如来」で、日本最古の仏像とも伝わる絶対秘仏。7年に一度の御開帳は全国から数百万人の参拝者を集める。創建は皇極天皇元年(642年)とされ、女人禁制の時代にも女性の参拝を受け入れた「女人救済の寺」として知られる。本堂は国宝に指定され、江戸時代中期の1707年に再建された総ケヤキ造りの壮大な建築物。最澄・空海も参拝した信濃の霊場として知られ、「牛に引かれて善光寺参り」の故事でも著名。
寺伝によれば、皇極天皇3年(644年)、信濃国の本田善光が難波の堀江から一光三尊阿弥陀如来を奉じて現在地に遷座し、草堂に祀ったのが起源とされる。本尊は日本最古の仏像とも伝わる絶対秘仏で、現在に至るまで公開されていない。奈良時代以降は天台・真言両宗の交代住職制をとり、特定宗派に属さない民衆信仰の霊場として栄えた。鎌倉期には源頼朝が参詣、北条氏の帰依を得て善光寺信仰が全国に広がった。戦国時代、弘治元年(1555年)から武田信玄は本尊を甲斐に、上杉謙信は飯山に運び対峙したため本尊は長く諸国を流転、武田家滅亡後は織田信忠・豊臣秀吉のもとを経て、慶長3年(1598年)に秀吉没後の遺命で信濃に還座した。宝…
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鎌倉幕府を開いた源頼朝は、長野の善光寺に参詣してその霊験を崇敬した。頼朝の参詣を契機に北条氏も深く帰依し、武家政権の後ろ盾を得た善光寺信仰は鎌倉期以降、全国の武士・庶民の間へと広く普及していった。
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