東京都杉並区永福1-6-8に鎮座する浄土真宗本願寺派の寺院。山号は本光山、院号は歓喜院。本尊は江戸期の作とされる阿弥陀如来立像。
草創は相模国小田原で、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原城攻略の際に堂宇を焼失して江戸へ移転した。慶長年間(1596〜1614年)には木挽町・神田金沢町・下谷七軒町・新堀橋端と転々とし、明暦3年(1657年)の振り袖火事(明暦の大火)でも焼失した。その後、万治年間(1658〜1660年)に築地へ移り浜町御坊(のちの築地本願寺)の子院となった。
大正12年(1923年)の関東大震災で全焼後、昭和3年(1928年)に現在の永福へ移転。昭和20年(1945年)5月の空襲で再び焼失し、昭和45年(1970年)に本堂を再建した。相模国小田原での創建から五度の焼失と移転を繰り返しながら、法灯を守り続けてきた不屈の古刹である。
善照寺の草創は相模国小田原にあり、創建年代は明らかでないが浄土真宗本願寺派の寺院として開山されたと伝わる。天正18年(1590年)、豊臣秀吉が大軍を率いて北条氏の小田原城を包囲した小田原の役において、当寺は戦禍に見舞われ堂宇を焼失し、江戸へ移転することとなった。この戦は北条氏を滅ぼし秀吉の全国統一を完成させた最後の大合戦であり、善照寺の流転の歴史はその歴史的転換点に始まる。
江戸転居後、慶長年間(1596〜1614年)を通じて木挽町・神田金沢町・下谷七軒町・新堀橋端と江戸市中を転々とした。明暦3年(1657年)、江戸の三分の二を焼き尽くした「振り袖火事(明暦の大火)」で再び焼失した。万治年間…