寛文10年(1670年)、黄檗宗の僧・鉄眼道光(1630〜1682年)が再興した寺院で、通称「鉄眼寺」と呼ばれる。もとは薬師堂があった地に、鉄眼が伽藍を整えて瑞龍寺と改称し、大坂における黄檗宗布教の拠点とした。鉄眼は日本に一切経の版本がないことを憂い、全国を行脚して勧進に励んだが、集めた浄財を度重なる洪水・飢饉で苦しむ民衆の救済にそのつど投じた。三度の勧進を経てようやく一切経6,956巻の木版(現・重要文化財)を完成させ、天和2年(1682年)に当寺で示寂した。江戸時代には広大な寺域に蓮池や藍畑が広がり、文人墨客に愛された。昭和20年(1945年)の大阪大空襲で伽藍が焼失したが、昭和25年(1…