松尾芭蕉は1689年に江戸を出発し、東北・北陸を約150日かけて旅した「奥の細道」を著した。「古池や蛙飛び込む水の音」など多くの名句を生み出し、俳諧を単なる言葉遊びから精神的芸術へと昇華させた。「不易流行」(永遠に変わらないものと常に変わるものの調和)という思想を俳諧の根本原理とし、後世の俳句に多大な影響を与えた。
松尾与左衛門は伊賀国上野(現・三重県伊賀市)の農民であり、後に俳聖と呼ばれる松尾芭蕉の父である。与左衛門は農業を営みながら子の才能を育て、芭蕉は若くして藤堂良忠(藤堂藩の侍)のもとで俳諧を学ぶ機会を得た。芭蕉が後に江戸へ出て俳諧師としての道を歩む基盤を与えた人物として、近世俳諧史に名を刻む。
藤堂良忠——芭蕉に俳諧を教えた24歳で逝った若き主君
藤堂良忠(俳号:蝉吟)は伊賀上野の藤堂藩士で、松尾芭蕉(当時・松尾宗房)に俳諧を教えた主君だった。京都の北村季吟に師事して俳諧を修め、芭蕉とともに俳諧に傾倒した。1666年にわずか24歳で早世したことが芭蕉に深い悲しみを与え、その後の芭蕉の俳諧への情熱を一層深めた。芭蕉が俳聖への道を歩む上で欠かせない存在だった。