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PERSON
行基
行基
民衆の僧・大僧正
668-749 · 享年 81歳
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生涯
奈良時代の僧。河内国(現大阪府)の生まれ。法相宗を学び24歳で受戒したのち、各地を遊行しながら民衆への仏法布教に努めた。ため池・溝渠・橋梁・布施屋(福祉施設)など社会インフラの整備を民衆とともに行い、「行基菩薩」と慕われた。当初、朝廷は民衆を組織する行基の活動を警戒し弾圧したが、その社会的影響力はとどまることを知らなかった。聖武天皇の東大寺大仏造立に際しては、民衆からの寄付を集める勧進に携わり、749年に日本で初めて「大僧正」の位を授けられた。81歳で示寂。日本仏教史において民衆と協働した最初の僧として高く評価される。
人物像
権威や官僚制度にとらわれず、常に民衆の側に立つ実践的な僧。土木工事を自ら指揮し、貧しい人々に手を差し伸べた行動派。教義の普及と社会貢献を不可分とみなした、日本仏教史上稀有の人物。
歴史的意義
行基が主導した社会インフラ整備事業は後世の仏教の社会活動の模範となった。「行基図」と呼ばれる日本地図は江戸時代まで標準的地図として用いられた。奈良の東大寺境内には行基の銅像が建立されており、民衆仏教の先駆者として記憶される。
逸話・エピソード
行基と東大寺大仏——民衆と共に建てた奈良の大仏
行基は奈良時代の僧侶で、最初は民間布教を禁じた朝廷から弾圧を受けたが、その人望と社会事業(橋・道路・寺院・灌漑施設の建設)への貢献が認められ、745年に聖武天皇から「大僧正」の最高位を授けられた。行基は東大寺盧舎那仏(奈良の大仏)の建立にあたって、全国を行脚して民衆から寄付・労働力を集める「勧進」活動を主導した。この大仏建立は仏教の力で国を護ろうとした聖武天皇の願いを体現するものであり、行基の民衆動員なしには実現しなかった。日本仏教史上、民衆仏教の先駆者として高く評価される。
ゆかりの地 — 5
東大寺
奈良県
天平15年(743年)、聖武天皇が国家安泰を祈り大仏造立の詔を発した。行基は民衆の信望を集める僧侶として、のべ260万人を動員する一大国家プロジェクトを指揮。天平勝宝元年(749年)、大仏完成を見届けて入寂した。庶民とともに土木・灌漑工事を行ってきた行基の実践仏教が、この壮大な国家事業を支えた。
延命寺(逗子大師)
神奈川県
天平年間(729–749年)、諸国を遊化していた行基菩薩が逗子の地を訪れ、自ら延命地蔵菩薩座像を彫刻して安置し延命寺を開創したと伝わる。行基は橋・池・救護施設など民衆救済のための社会事業を日本各地で主導し、後に聖武天皇に請われて東大寺大仏造立にも尽力した奈良時代を代表する高僧。延命寺の地蔵像には「人々の寿命を延ばし苦を除かん」という行基の願いが込められていたとされる。
瑠璃寺
兵庫県
奈良時代の高僧・行基菩薩は全国を巡錫し、各地に多くの寺院を開いた。瑠璃寺もその一つとして、播磨北部に薬師如来を安置したと伝わる。新西国三十三箇所霊場の結願寺として、行基ゆかりの古刹で巡礼を締めくくる伝統は、行基への帰依と播磨地方の仏教文化を象徴する。
源光寺
大阪府
天平19年(747年)、聖武天皇の勅願寺として行基が開創し、当初「平生寺」と号したと伝わる。行基は橋梁・溜池・布施屋(救済施設)を各地に設けながら民衆教化にあたった奈良時代の名僧であり、東大寺大仏造営の勧進にも尽力した。摂津国での行基の事績は池田・箕面・河内の各地に残るが、梅田からほど近い豊崎の地に行基開創の古刹があることは、古代の難波津から北摂・河内へと伸びた行基の布教ネットワークを物語る。
聖輪寺
東京都
神亀2年(725年)、関東巡錫中の行基菩薩が武蔵国のこの地に霊感を得て、自ら如意輪観音像を刻み小堂に安置したのが聖輪寺の起源と伝わる。渋谷区最古の寺院であり、奈良時代の高僧・行基の東国布教の足跡が今に残る数少ない遺跡の一つ。行基が同時に植えたとされる巨椎は戦災で焼失したが、樹跡は今も境内に保存されている。
─ 完 ─
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