江戸八代洲河岸(現東京都中央区)に幕府定火消の与力・安藤重右衛門の嫡男として生まれる。本名は安藤重右衛門(後に徳太郎)。幼少期に両親を相次いで失い、13歳で家督を継いで与力職を務めながら絵師を目指した。1811年ごろ歌川豊広に入門して浮世絵の技法を習得し、「広重」の号を得た。1830年代初頭に天覧(将軍に随行した上洛旅行)に加わったことが、その後の「東海道五十三次」創作の直接の契機となった。1833年に刊行が始まった「東海道五十三次」は55枚(序文・跋文を含む)の連作で、日本各地の風景を叙情的に描いたことで大ヒットとなった。その後も「木曾街道六十九次」「名所江戸百景」など多くの名作シリーズを生み出した。晩年には与力職を甥に譲り絵師に専念した。1858年にコレラで急死し、61歳で没した。葬儀は浅草の東岳寺で行われた。