大同5年(810年)に弘法大師空海が創建したと伝わる古刹で、後に日蓮宗に改宗した歴史を持つ。境内は江戸時代を通じて「杉田梅林」の中心地として広く知られ、最盛期には3万本を超える梅の木が咲き誇り、春の梅の季節には江戸や近郷から多くの観梅客が押し寄せた。三代歌川広重は安政元年(1854年)に「光名所 杉田の梅」を源氏物語各帖名を借りる「源氏名所」の形式で描き、杉田梅林の名を広めた(神奈川県立歴史博物館所蔵)。また初代広重も安政3年(1856年)頃の連作「名所江戸百景」第111景で杉田梅林を描いている。明治以降、宅地化や戦災で梅林の大半は失われたが、現在も境内には梅の木が残り、磯子区の歴史と春の風物詩を今に伝える名刹として地域に愛されている。境内には祖霊碑、南無妙法蓮華経の題目碑、梅にちなむ句碑、稲荷社の鳥居などが佇み、日蓮宗の信仰と梅林文化の両面を今に伝える。「ぼたん寺」の愛称でも親しまれ、約…
大同5年(810年)、弘法大師空海が真言宗の寺院として創建。その後、鎌倉時代に日蓮聖人が布教活動の中でこの地を訪れ、日蓮宗に改宗した。比企谷の妙本寺とは同じ日蓮宗の法灯を受け継ぐ兄弟寺院であり、比企一族の菩提を弔う縁で結ばれている。江戸時代には杉田梅林の中心として繁栄し、最盛期には3万本超の梅が咲き誇った。安政元年(1854年)には三代歌川広重が「光名所 杉田の梅」を、安政3年(1856年)頃には初代広重が「名所江戸百景」第111景で杉田の梅を描き、その名声は全国に広まった。京浜電鉄の開通後は多くの旅行者が梅見に訪れ、梅花を持ち帰る観光客で賑わった。明治以降の宅地化と戦災で梅林の大半は失われた…