character/[id]

PERSON
北条早雲
北条早雲
戦国最初の下剋上大名
1432-1519 · 享年 87歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
1432年頃、京都の伊勢氏の出身とされる(近年の研究で「浪人」説は否定された)。室町幕府の申次衆として仕える家柄であったが、姉の婿・今川義忠の死後(1476年)、今川家の家督争いに介入して駿河国に地歩を築いた。1493年、室町幕府の内紛(明応の政変)に乗じて守護・堀越公方を攻め、伊豆国を奪取した。この行為は主君を凌ぐ典型的な下剋上とみなされ、「戦国時代の幕を開けた男」と後世に称された。1495年頃には小田原城を攻め取って相模国に進出。その後も南関東の支配を拡大した。国人衆を巧みに取り込み、過大な軍役を課さず、「早雲寺殿廿一箇条」に示された善政・倹約の精神で領民の支持を集めた。息子・氏綱に「北条」の姓を与え、後北条氏として関東に一大勢力を築く礎を作った。1519年に87〜88歳の長寿を全うした。伊勢宗瑞(北条早雲)の一代は日本の戦国時代の到来を告げる象徴的な生涯であった。後北条氏の居城・小田原城は現在も神奈川県小田原市のシンボルとして親しまれ、早雲が開いた関東の覇業の記憶を伝え続けている。
人物像
老獪な策略家でありながら領民への善政でも知られた。「早雲寺殿廿一箇条」は家臣への訓戒として名高く、質素倹約・文武両道を旨とする先進的な統治理念を示している。
歴史的意義
戦国時代を象徴する最初の下剋上大名。後北条氏は関東の覇者として五代にわたり繁栄し、秀吉の小田原征伐まで約100年続いた。戦国大名の先駆者として日本史に特筆される存在。
逸話・エピソード
伊勢新九郎から後北条氏へ——下剋上の元祖が切り開いた戦国の幕開け
北条早雲(伊勢長氏)は室町幕府の申次衆という比較的低い出自から、駿河今川家への助力を機に頭角を現し、1491年に伊豆堀越公方・足利茶々丸を討ち伊豆を奪取。さらに1495年に相模・小田原城を奪い取り、後北条氏の基盤を作った。これは主君への謀反ではなく、混乱した政治状況を利用した下剋上であり、戦国時代の幕開けを告げる象徴的な出来事として評価されている。早雲は80歳を超えても征服活動を続けた長命の戦国大名であり、五代にわたる後北条氏の礎を築いた。
ゆかりの地 — 5
韮山城跡
静岡県
北条早雲(伊勢宗瑞)が1493年頃に韮山城を築いたとされ、ここを本拠に伊豆国の支配を固めた。今川氏の客将として台頭した早雲が、足利茶々丸を追い落として伊豆を掌握するにあたり、韮山城は後北条氏百年の礎となる最初の城となった。
山中城
山中城は後北条氏の城だが、その礎を築いた北条早雲の伊豆・相模支配なくして存在し得なかった城である。早雲が伊豆を掌握したことで後北条氏の関東支配が始まり、山中城はその防衛網の最西端を担う重要拠点となった。
国清寺
静岡県
北条早雲は伊豆を掌握した後、この国清寺を深く崇敬し、寺の整備・保護に努めた。韮山を本拠とした早雲にとって国清寺は精神的な拠り所であり、後北条氏の伊豆支配の正当性を宗教的に裏付ける存在であった。
興国寺城跡
静岡県
北条早雲(伊勢宗瑞)が戦国大名として出発した最初の拠点。今川氏の客将として興国寺城を与えられた早雲はここから勢力を拡大し、1487年頃に伊豆国を掌握した。この城は「戦国時代の始まり」を告げる場所として歴史的に極めて重要な存在で、早雲なくして後北条氏百年の覇業はなかった。
延命寺(逗子大師)
神奈川県
永正10年(1513年)、後北条氏の祖・北条早雲は相模三浦氏攻略のため、小坪の住吉城に攻め寄せた。住吉城は三浦道寸の弟・三浦道香が守備していたが落城し、道香ら主従七武士は近隣の延命寺に逃れたところで追い詰められ自害した。早雲の住吉城攻めは永正13年(1516年)の新井城陥落・三浦氏滅亡に至る三浦攻めの序幕であり、延命寺はその悲劇の舞台となった。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U