聖地マップ
みんなの投稿
記録
辿る
マイページ
‹
徳川家康
created by Toku
徳川家康
江戸幕府初代将軍
1543-1616 · 享年 73歳
+ 推しに追加
三行で分かる
一
幼少期を人質として過ごした忍耐の人が、
二
関ヶ原に勝って天下の実権を握り、
三
260年続く江戸幕府の礎を築いた。
驚
へぇ、と思う三話
其 一
しかみ像
›
三方ヶ原の大敗後、自戒のために恐怖に歪んだ自身の姿を描かせた。この「しかみ像」を生涯手元に置き、慢心を戒めたとされる。
其 二
人質時代の石合戦
›
今川家の人質だった幼少期、子供たちの石合戦で劣勢の側に加わり逆転勝利させた。信長はこれを聞いて「あの竹千代は将来大物になる」と語った。
其 三
天ぷらの食べ過ぎ?
›
家康の死因は鯛の天ぷらの食べ過ぎとする説が有名だが、実際は胃がんの可能性が高い。しかし「天下人が天ぷらで死んだ」という逸話は日本人に広く親しまれている。
地
徳川家康を訪ねる
105 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
東叡山 寛永寺
東京都
名古屋城
愛知県
瀬戸神社
神奈川県
湯島天満宮
東京都
岐阜城
岐阜県
城
掛川城
静岡県
城
上田城
長野県
城
長篠城
愛知県
史
関ヶ原古戦場
岐阜県
泉岳寺
東京都
すべて →
みんなの声
推しへの想い・おすすめ作品・豆知識を語り合おう。
ログインすると投稿できます
徳川家康 年表
1543
徳川家康、三河岡崎に生まれる
1560
桶狭間の戦い後、今川家から独立
1562
織田信長と清洲同盟を結ぶ
1572
三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗
1582
本能寺の変。伊賀越えで三河に帰還
1590
秀吉の命で関東へ移封。江戸を本拠とする
1600
関ヶ原の戦いで西軍を破る
1603
征夷大将軍に就任。江戸幕府を開く
1615
大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす
1616
駿府にて死去(75歳)
深
さらに深く
生
生涯をくわしく
生い立ちから最期まで
1543年、三河国岡崎城で松平広忠の嫡男として生まれ、幼名を竹千代と称した。6歳のとき今川氏の人質として駿府に送られ、その後今川・織田と次々に人質生活を強いられる境遇の中で、忍耐と観察力、政治的思考を磨いた。1560年の桶狭間の戦い後に今川から独立し、やがて織田信長と同盟を結んで着実に三河・遠江・駿河・甲斐・信濃を掌握した。信長の死後は豊臣秀吉と折り合いをつけながら関東250万石の大大名に成長した。秀吉の死後、1600年の関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍を破り、天下の実権を握った。1603年に征夷大将軍に任じられ江戸に幕府を開き、わずか2年後には嫡男・秀忠に将軍職を譲り、徳川家の世襲制度を世に示した。1614・1615年の大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、徳川の覇権を盤石のものとした。晩年は駿府城に隠居しながら実権を握り続け、1616年に73歳で没した。死後は東照大権現として日光東照宮に神として祀られた。
人
人物像
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と評されるほど忍耐強く、機を見るに敏な戦略家。感情を抑え長期的な目標に向かって着実に行動した。健康管理に気を使い、薬草や医学にも造詣が深かった。負けから学ぶ姿勢と慎重さが最終的な勝利をもたらした。
義
歴史的意義
江戸幕府を創設し、約260年間にわたる徳川支配の礎を築いた。参勤交代・鎖国など独自の統治制度によって国内の安定を保ち、江戸時代の平和と文化の繁栄を可能にした。東照大権現として神格化され、現在も日光東照宮・久能山東照宮で信仰を集める。
辞
辞世の句
辞 世 の 句
嬉しやと 二度さめて 一眠り 浮き世の夢は 暁の空
系
家系図
系
家系図
家康
初代将軍
→
秀忠
二代将軍(宗家)
→
家光
三代将軍
→
義直
尾張徳川家祖・九男
頼宣
紀伊徳川家祖・十男
吉宗
八代将軍(紀伊系)
→
頼房
水戸徳川家祖・十一男
光圀
水戸黄門
→
斉昭
烈公・尊攘派
→
慶喜
十五代将軍(最後)
→
言
名言と逸話
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」
「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」
辞世
「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」
其 四
関ヶ原の小早川秀秋
関ヶ原の戦いで小早川秀秋の裏切りを待ちきれず、秀秋陣に鉄砲を撃ちかけて寝返りを強制したとされる。この一手が天下分け目の戦いを決した。
事
関連する歴史的事件
1560
桶狭間の戦い
1560年(永禄3年)、尾張の織田信長が駿河の今川義元率いる大軍を奇襲攻撃で撃破した戦い。今川義元は2万とも言われる大軍を率いて上洛を目指していたが、信長はわずか2千余りの兵でその本陣を強襲。義元は討ち取られ、戦国最大の番狂わせとして後世に語り継がれる。この勝利により信長は尾張を完全制圧し、天下統一への第一歩を踏み出した。現在の愛知県豊明市と名古屋市緑区にまたがる地に古戦場跡が整備されている。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、人質として今川氏に従っていた松平元康(家康)は独立への契機を得た。義元討死の報を受けた家康は岡崎城に帰還し、三河の自立へと歩み始めた。桶狭間は家康の人生を大きく変えた転換点の地でもある。
もっと見る(残り 28 件)
記
関連記事 — 22
江
江戸城下町の徳川史跡——千代田から港区の家康ゆかりの地
慶長八年(1603年)の江戸幕府開設から明治維新まで265年にわたって続いた徳川政権の遺構を、千代田区・港区を中心に巡る。江戸城跡・増上寺・寛永寺・日枝神社など主要史跡を史料に基づいて解説し、将軍家の菩提寺としての格式と現存遺構の見方を示す。
›
徳
徳川家康の生涯を辿る——岡崎・駿府・日光の史跡巡礼
天文十一年(1542年)の誕生から元和二年(1616年)の薨去まで、徳川家康74年の生涯を岡崎城・浜松城・駿府城・久能山東照宮・日光東照宮という生誕地・居城・祭祀地の系譜で辿る。各史跡の現存遺構と史料上の位置づけを解説し、家康が死後いかに神格化されたかを明らかにする。
›
織
織田信長ゆかりの史跡——岐阜・安土・本能寺の道を辿る
天下統一を目前に本能寺の変(天正十年・1582年)で斃れた織田信長の足跡を、岐阜城・安土城跡・建勲神社・本能寺という四つの史跡で辿る。『信長公記』を軸に一次史料の記述と現存遺構を照合し、信長の政治戦略と宗教施策が各史跡にどう刻み込まれているかを解説する。
›
豊
豊臣秀吉と大阪——出世の軌跡と天下統一の遺構を歩く
天文六年(1537年)頃に尾張国中村に生まれた豊臣秀吉が、天下関白として日本を統一するまでの軌跡を、大阪城・大徳寺・伏見桃山・北野天満宮という史跡で辿る。『太閤記』等の史料と照合しながら、秀吉の権力戦略と文化政策が各遺構にどのように反映されているかを解説する。
›
日
日本100名城を巡る——縄張様式と遺構の見方を解説する
公益財団法人日本城郭協会が選定した「日本100名城」から特に重要な城郭を地域別・縄張様式別に整理し、本丸・二の丸・曲輪・堀切・虎口・天守の見方を解説する。単なる観光情報ではなく、縄張設計の意図と防衛思想を史料に基づいて読み解く方法を提示する。
›
二
二条城と徳川の京都支配——大政奉還の舞台を歩く
徳川家康が慶長八年(1603年)に築いた二条城は、江戸幕府の京都における権力の象徴であった。慶応三年(1867年)の大政奉還まで、265年間にわたる徳川支配の始点と終点を、京都の史跡五カ所で辿る。
›
関
関ヶ原の戦いの地——東西両軍の陣跡を歩く
慶長五年(1600年)九月十五日に決戦が行われた関ヶ原は、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突した天下分け目の戦場である。古戦場跡・各武将の陣跡・岐阜城・南宮大社など五つの史跡を通じて、戦いの経過と結果が日本史に与えた意味を辿る。
›
名
名古屋城と尾張徳川——金鯱の天守と城下町の史跡
徳川御三家筆頭・尾張徳川家が統治した名古屋城と城下の主要史跡を、一次史料に基づいて辿る。金鯱の象徴的意味から大須観音・熱田神宮の政治的位置付けまで解説する。
›
大
大阪城と豊臣の天下——太閤秀吉の築城と落城の史跡
豊臣秀吉が築いた大阪城の史的経緯と、四天王寺・住吉大社など城下の史跡を一次史料に基づいて解説。大坂の陣から徳川による再建まで、権力交代の痕跡を辿る。
›
日
日光東照宮と家康神格化——東照大権現を祀る霊地の成立
徳川家康を東照大権現として祀る日光東照宮の造営経緯と、家康神格化の政治的・宗教的背景を一次史料に基づいて解説。輪王寺・二荒山神社との複合的な霊地の構造も論じる。
›
瀬
瀬戸神社と徳川家康 頼朝を崇敬した将軍が守り続けた金沢の古社
横浜市金沢区の瀬戸神社は、治承四年(1180年)に源頼朝が創建した海上交通の守護社だ。天正十八年(1590年)の関東入府後、徳川家康はこの地を訪れ、頼朝崇敬の念から社領百石の朱印状を発給した。武家政権の連続性という観点から、頼朝と家康を結ぶ金沢の聖地を論じる。
›
龍
龍華寺(金沢八景)と徳川家康 五石の朱印地と龍源寺の縁起
横浜市金沢区の真言宗御室派・龍華寺は、天正十九年(1591年)に徳川家康が金沢遊覧の途次に宿泊し、寺領五石の朱印地を寄進したと伝わる古刹である。「龍源寺」誤奏上の縁起は伝承の域を出ないが、朱印地付与は寺領記録と整合し、家康の宗教統制策の一面を示す。
›
石
石田三成と関ヶ原——豊臣を守った忠臣の最期
慶長5年(1600年)9月15日、天下分け目の**関ヶ原の戦い**は半日で西軍の惨敗に終わった。石田三成は豊臣家存続のために立ち上がり、敗れ、斬首された——その生涯は「忠義」と「合理」が交差する戦国の縮図である。三成ゆかりの古戦場・城跡・寺社を巡り、関ヶ原の真実に迫る。
›
豊
豊臣秀頼と大坂の陣——豊臣家最後の戦い
慶長19〜20年(1614〜1615年)に起きた大坂の陣で、**豊臣秀頼**は徳川家康の大軍に包囲され、わずか22歳で母・淀殿とともに大坂城に散った。天下人の嫡男が辿った数奇な運命と、現地で感じる戦国最後の悲劇を解説する。
›
千
わずか3千で2万5千に勝った!桶狭間の戦いの本当の話
1560年、絶体絶命の信長が起こした奇跡の逆転劇。戦国時代最大の番狂わせとも呼ばれる桶狭間の戦いを、中学生にも分かるように徹底解説。信長はなぜ勝てたのか、その舞台を巡る旅もご案内します。
›
負
負けた顔を一生持ち歩いた?家康「しかみ像」の秘密
三方ヶ原で大敗した家康が、なぜわざわざ恐怖に歪んだ自分の顔を描かせたのか。「自戒のための肖像」の意味と、日本一「反省」を大切にした武将の哲学を分かりやすく解説します。
›
歳
6歳から人質生活!それでも天下を取った家康の少年時代
6歳で今川家の人質にされた竹千代(後の徳川家康)。親元を離れ、他人の家で過ごした少年時代。でもその境遇が、後の「鳴くまで待とうホトトギス」の忍耐力を育てました。中学生向けにやさしく解説します。
›
天
天下人は天ぷらで死んだのか?家康の最期の真実
「鯛の天ぷらを食べすぎて死んだ」という伝説が残る徳川家康。でも実際は?医学的な視点も交えながら、天下人の最期に隠された本当の話を分かりやすく解説します。歴史の「面白い謎」を一緒に考えましょう。
›
家
家康を怒らせた手紙!直江状が関ヶ原の引き金になった理由
1600年、直江兼続が徳川家康に送った「直江状」は、家康の要求を真っ向から否定し、家康自身の行動まで批判する前代未聞の反論書だった。この手紙が家康の怒りを買って会津征伐が始まり、西国の大名が動いて関ヶ原の戦いへとつながった。日本史最大の合戦の引き金となった手紙の中身を解説する。
›
英
英勝寺——鎌倉唯一の尼寺を訪ねる参拝ガイド
鎌倉・扇ヶ谷に佇む英勝寺は、徳川家康の側室・英勝院が太田道灌の屋敷跡に創建した鎌倉唯一の尼寺。江戸初期の仏殿・山門・鐘楼・祠堂が重要文化財として現存し、竹林とシャガの花が美しい静寂の名刹です。
›
上
上野大仏・パゴダ完全参拝ガイド|合格祈願の聖地
上野恩賜公園に鎮座する上野大仏は、関東大震災で頭部が落下したまま顔面レリーフとして現存する釈迦如来。「これ以上落ちない」として受験生の合格祈願の聖地となり、背後のパゴダには薬師三尊を祀る。寛永寺が管理する上野の隠れた名所を徹底解説。
›
駅
駅伝発祥の地・上野不忍池——日本初の東海道駅伝と記念碑の歴史
上野・不忍池のほとりに立つ「駅伝の碑」は、1917年(大正6年)に京都の三条大橋から上野不忍池まで走られた日本初の駅伝「東海道駅伝徒歩競走」のゴール地点を記す記念碑です。奠都五十周年記念大博覧会を機に生まれた駅伝の起源と、碑をめぐる上野公園の歴史散策コースを紹介します。
›
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
✕