讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)の豪族・佐伯氏に生まれた。幼名は真魚(まお)。15歳頃に上京し、大学で儒学を学ぶが、やがて私度僧として山野で苦行を重ねた。18歳の頃に著した『聾瞽指帰』で仏教への帰依を明確にした。804年、31歳で遣唐使船に乗り唐に渡り、長安の青龍寺で密教の大家・恵果阿闍梨に師事。恵果は「よく来た、あなたを待っていた」と喜び、わずか数ヶ月で胎蔵界・金剛界両部の灌頂を授け、密教の正統な継承者に指定した。806年に帰国し、816年に高野山を下賜され金剛峯寺を開創。嵯峨天皇の信任を深め、823年に東寺(教王護国寺)を賜り真言密教の根本道場とした。また京都に庶民向けの教育施設「綜芸種智院」を開いた。書の達人としても知られ「弘法も筆の誤り」の諺の由来となった。835年に高野山で入定(入滅)。高野山では今も生きて瞑想中とされ「お大師様」として信仰される。四国八十八箇所霊場の開祖とも伝えられる。