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PERSON
空海
空海
真言宗開祖・弘法大師
774-835 · 享年 61歳
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生涯
讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)の豪族・佐伯氏に生まれた。幼名は真魚(まお)。15歳頃に上京し、大学で儒学を学ぶが、やがて私度僧として山野で苦行を重ねた。18歳の頃に著した『聾瞽指帰』で仏教への帰依を明確にした。804年、31歳で遣唐使船に乗り唐に渡り、長安の青龍寺で密教の大家・恵果阿闍梨に師事。恵果は「よく来た、あなたを待っていた」と喜び、わずか数ヶ月で胎蔵界・金剛界両部の灌頂を授け、密教の正統な継承者に指定した。806年に帰国し、816年に高野山を下賜され金剛峯寺を開創。嵯峨天皇の信任を深め、823年に東寺(教王護国寺)を賜り真言密教の根本道場とした。また京都に庶民向けの教育施設「綜芸種智院」を開いた。書の達人としても知られ「弘法も筆の誤り」の諺の由来となった。835年に高野山で入定(入滅)。高野山では今も生きて瞑想中とされ「お大師様」として信仰される。四国八十八箇所霊場の開祖とも伝えられる。
人物像
超人的な才能と行動力を兼備。密教・書道・土木・教育と多方面に天才を発揮した。「弘法大師空海」として全国に伝説が残り、四国八十八箇所の開祖ともされる。
歴史的意義
真言宗は日本最大の仏教宗派の一つとして現在も続く。高野山は世界遺産に登録。四国遍路は年間数十万人が巡礼する。日本文化に与えた影響は計り知れない。
逸話・エピソード
三筆の一人
嵯峨天皇・橘逸勢と並ぶ日本三筆の一人。「弘法にも筆の誤り」の諺の由来。書道の達人であると同時に、真言密教の開祖として高野山を開いた。
四国八十八箇所の開創
空海が修行した四国の地を巡る八十八箇所の霊場巡礼。現在も年間数十万人が「お遍路」として巡拝する日本最大の巡礼路。
名言
「虚空よく風を含む、虚空は方円に従う。心法もまたかくのごとし」
関連する歴史的事件
850
弘仁・貞観文化
9世紀、嵯峨天皇の弘仁年間(810-824)から清和・陽成天皇の貞観年間(859-877)を中心とする平安初期の文化。最澄が開いた天台宗(比叡山延暦寺)、空海が開いた真言宗(高野山金剛峯寺・東寺)による密教が中心となり、神秘的で力強い造形を生んだ。室生寺金堂釈迦如来像、元興寺薬師如来像、観心寺如意輪観音像、神護寺薬師如来像などの一木造り・翻波式衣文の仏像が代表。絵画では両界曼荼羅、建築では山岳寺院(室生寺五重塔)。漢詩文が隆盛し『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』の勅撰三集が編まれた。空海の三筆(嵯峨天皇・橘逸勢と並ぶ)も著名。
ゆかりの地 — 10
伏見稲荷大社
京都府
弘法大師空海は弘仁7年(816年)頃に東寺を授かった際、東寺の鎮守として伏見稲荷を篤く崇敬したと伝わる。空海と稲荷神の出会いの逸話として、紀州田辺で老翁の姿で現れた稲荷神に東寺造営の用材を借り受けたという伝承があり、これが東寺と稲荷信仰の結びつきの起源とされる。真言密教と稲荷信仰の習合は中世稲荷信仰の発展の中核となった。
大日坊瀧水寺
山形県
寺伝によれば、大同2年(807年)に弘法大師空海が湯殿山を開いた折、その入口にあたる地に大日坊を草創したとされる。空海と湯殿山の関係を伝える伝承の中心的舞台であり、湯殿山真言宗の立教の地として信仰の対象となってきた。
宝亀院
和歌山県
延喜21年(921年)、醍醐天皇は空海(弘法大師)に対して諡号を贈ると共に空海の御衣を献上した。以後、当院は空海の御衣を管理する特別な役割を担うことになり、毎年3月の「御衣替え」では新調された御衣が奥之院の御廟に奉納される。これは空海が今も入定したまま生きて衆生を救うとする「弘法大師入定信仰」の中核儀式であり、当院は高野山における空海信仰の重要な担い手として崇敬を集めている。
延命寺(逗子大師)
神奈川県
延命寺は高野山真言宗の寺院として弘法大師空海の真言密教の教えを伝え、通称「逗子大師」は空海信仰に由来する。毎月21日の大師縁日には逗子の人々が多く参詣し、江戸期以来続く大師講の伝統を今に受け継いでいる。空海が開いた真言密教の教えが、行基開創の古刹と結びつき地域の信仰文化を形成した。
楊谷寺
京都府
弘法大師空海が楊谷寺を訪れた際、境内の独鈷で岩を打って水を湧かせたところ、眼を病んでいた猿の母子がその水で目を洗うと忽ち治癒したと伝わる。空海はこの霊水を「独鈷水(おこうずい)」と命名し、眼病平癒の霊水として全国に知られるようになった。以来、楊谷寺は「眼の観音さま」として空海ゆかりの真言密教の聖地となり、現代も眼病祈願の参拝者が絶えない。
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─ 完 ─
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