承平5年(935年)から天慶4年(941年)にかけて、東の平将門と西の藤原純友がほぼ同時期に朝廷に対して起こした大規模な反乱。平将門は桓武平氏の武将で、関東一帯で一族の内紛をきっかけに反乱に発展。939年には常陸・下野・上野の国府を次々と襲撃し、自らを「新皇」と称して関東独立政権を樹立した。しかし940年、藤原秀郷・平貞盛らの追討軍に敗れ、戦死した。一方、藤原純友は瀬戸内海の海賊を率いて伊予・讃岐・大宰府を襲撃し、西国を制圧。941年に小野好古・源経基らにより鎮圧された。両乱は律令国家の軍事力の限界を露呈させると同時に、地方武士団の実力を中央に知らしめた。武士が歴史の表舞台に登場する画期的な事件であり、これ以降、貴族に代わって武士が軍事・警察機能を担う流れが決定的となった。