天慶2年(939年)、関東の豪族・平将門が常陸・下野・上野の国府を次々に攻め落とし、自ら「新皇」を称して朝廷に反旗を翻した。将門は関東一円を支配下に収め、独立政権の樹立を目指したが、天慶3年(940年)2月、従弟の平貞盛と下野押領使・藤原秀郷の連合軍に猿島郡で討たれた。首は京都に送られてさらし首にされたが、やがてその首が東国へ飛び帰ったという伝説が生まれ、落ちた場所が「将門塚」として現在も大手町に祀られている。将門の乱は東国武士の自立の萌芽であり、200年後の源平合戦、鎌倉幕府成立への遠い前奏曲でもあった。