土佐国高知(現高知市)の郷士・坂本八平の次男として生まれる。江戸に出て北辰一刀流の千葉道場に入門し剣の腕を磨いた。尊皇攘夷思想に傾倒していたが、勝海舟と出会って開国・海軍強化の必要性を確信し、幕府海軍の訓練所に参加した。1865年に長崎で亀山社中(後の海援隊)を結成し、貿易商社兼海軍塾として運営した。長年の宿敵であった薩摩藩と長州藩の間の対立を仲介し、1866年1月に薩長同盟の締結に成功した。この同盟は倒幕への決定的な推進力となった。同年に薩摩藩の蒸気船「夕顔丸」艦上で長崎商人の楢崎龍(おりょう)と日本初の近代的新婚旅行とも言われる旅を行った。1867年には大政奉還の建白書となった「船中八策」を起草し、徳川幕府の自主的な政権返上を促した。しかし同年11月15日、京都の近江屋において京都見廻組(あるいは新選組との説も)に暗殺され、31歳の短い生涯を閉じた。