character/[id]

PERSON
坂本龍馬
坂本龍馬
薩長同盟の仕掛け人・幕末の志士
1836-1867 · 享年 31歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
土佐国高知(現高知市)の郷士・坂本八平の次男として生まれる。江戸に出て北辰一刀流の千葉道場に入門し剣の腕を磨いた。尊皇攘夷思想に傾倒していたが、勝海舟と出会って開国・海軍強化の必要性を確信し、幕府海軍の訓練所に参加した。1865年に長崎で亀山社中(後の海援隊)を結成し、貿易商社兼海軍塾として運営した。長年の宿敵であった薩摩藩と長州藩の間の対立を仲介し、1866年1月に薩長同盟の締結に成功した。この同盟は倒幕への決定的な推進力となった。同年に薩摩藩の蒸気船「夕顔丸」艦上で長崎商人の楢崎龍(おりょう)と日本初の近代的新婚旅行とも言われる旅を行った。1867年には大政奉還の建白書となった「船中八策」を起草し、徳川幕府の自主的な政権返上を促した。しかし同年11月15日、京都の近江屋において京都見廻組(あるいは新選組との説も)に暗殺され、31歳の短い生涯を閉じた。
人物像
藩や身分の枠を超えた自由な発想と行動力が際立つ。敵対していた薩摩・長州という巨大勢力を仲介できたのは、既存の利害や偏見に縛られない独自のビジョンと人懐こさのためだとされる。手紙に口語を多用するなど率直で飾らない文体も愛され、その人間的な魅力は現代の日本人にも強く訴えかける。
歴史的意義
薩長同盟の仲介と大政奉還の構想という二大功績によって、明治維新の精神的象徴となった。現代日本における「坂本龍馬人気」は圧倒的で、NHK大河ドラマでも複数回主人公となり、高知龍馬空港など全国各地に名前が刻まれている。その自由・革新・脱藩の生き方は現代の起業家精神の原型として語られることも多い。
逸話・エピソード
薩長同盟の仲介
犬猿の仲だった薩摩と長州を説得し、密かに同盟を結ばせた。この同盟が倒幕・明治維新の原動力となった。
船中八策
大政奉還前夜、船上で新国家の構想「船中八策」を起草。議会制度、法律の整備、海軍の強化など、明治新政府の骨格となる先見的な提言であった。
ブーツと拳銃
和装にブーツを履き、懐にスミス&ウェッソンの拳銃を忍ばせた龍馬のスタイルは、旧来の武士の枠に収まらない自由人の象徴として親しまれている。
名言
「世に生を得るは事を成すにあり」
関連する歴史的事件
1855
勝海舟の外交・軍制改革
勝海舟(1823〜1899年)は幕末最大の実務家として、日本の近代海軍建設に尽力した人物。1855年(安政2年)、長崎海軍伝習所で西洋の航海・砲術を学び、1860年には咸臨丸の艦長として初の太平洋横断を成功させた。坂本龍馬の師として知られ、薩長同盟の前段階となる海援隊の設立にも影響を与えた。幕末の動乱では幕府海軍の建設・訓練に努め、1868年には西郷隆盛との談判で江戸城の無血明け渡しを実現した。明治政府下でも海軍卿などを歴任し、両者の橋渡し役として近代日本の建設に貢献した。
もっと見る(残り 3 件)
ゆかりの地 — 8
京都霊山護国神社
京都府
慶応3年(1867年)11月15日、京都河原町の近江屋にて暗殺。享年33(満31歳)。盟友・中岡慎太郎と密談中、数名の刺客に襲撃された。額を深く斬られ即死に近い状態であったとされる。実行犯は京都見廻組の佐々木只三郎率いる一隊が有力だが、新選組説、薩摩藩説なども根強い。大政奉還からわずか1ヶ月後の暗殺であり、明治維新を目前にした悲劇として知られる。
能勢妙見山
兵庫県
坂本龍馬は若い頃に勝海舟と出会い、海舟の妙見信仰の影響を受けたと伝わる。妙見大菩薩は北極星の神格化で「方位の守護神」とされたため、海運・船舶の道を志す龍馬にとっても通じる神格であった。神戸海軍操練所の同志たちとともに妙見信仰の世界観を共有していたとされる。
寺田屋
慶応2年(1866年)1月23日、薩長同盟を結んだ直後の龍馬が伏見奉行所の捕方に襲撃された。妻・お龍が裸のまま階段を駆け上がり龍馬に危機を知らせ、龍馬はピストルで応戦して辛うじて脱出。この事件後、薩摩藩邸に匿われた龍馬はお龍と共に薩摩(鹿児島)への旅に出発した。これが日本初の新婚旅行とされる。
高知城
龍馬は土佐藩の下級武士として高知城下に生まれた。山内家の厳格な身分制度に抑圧された龍馬は、脱藩して全国規模の変革を志した。
信楽寺
神奈川県
龍馬の妻・お龍(楢崎龍)は龍馬暗殺後、各地を転々とした末に横須賀に落ち着き、明治39年(1906年)にこの地で66歳の生涯を閉じた。境内のお龍の墓は龍馬ファンの巡礼地となっている。
もっと見る(残り 3 件)
この人物のクイズ
5問のクイズに挑戦
日本史力診断テストで出題されます
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U