二度の上田合戦——徳川の大軍を二度退けた「表裏比興の者」
真田昌幸は1585年(第一次)と1600年(第二次)の二度にわたって、上田城で徳川家康の大軍を撃退した。第二次上田合戦では、関ヶ原の戦いに向かう徳川秀忠の主力軍(約3万8千)を約2千の兵で10日間足止めし、秀忠を関ヶ原に間に合わせなかった。家康はこの功績を評価しながらも昌幸を「表裏比興の者」(信用できない狡猾な男)と評した。関ヶ原後は九度山に配流されたが、「昌幸生きている限り徳川も油断できない」と語られたほど、晩年まで知略を失わなかったとされる。