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しなの鉄道上田駅から車で約15分
長野県上田市上野
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上田市東部の山上に位置する山城跡で、真田氏の重要な支城として知られる。
標高約790mの山頂に本曲輪があり、急峻な地形を活かした防御が特徴。
天文19年(1550年)の「砥石崩れ」で武田信玄が大敗した難攻不落の城。
第一次上田合戦(1585年)では真田信之がこの城から出撃し、徳川軍の側面を強襲した。
城跡からは上田盆地を一望でき、上田城との連携がいかに効果的だったかが実感できる。
現在は曲輪や堀切、土塁などの遺構が良好に残り、山城ファンに人気のハイキングスポット。
登山口から本曲輪まで約30分の登山で、途中に米山城や桝形城の跡も見られる。
春は桜、秋は紅葉が山城跡を彩り、四季を通じて歴史散策が楽しめる。
真田氏の軍事力の源泉を理解するために、上田城と合わせて訪れたい史跡。
「砥石崩れ」の現場に立つと、信玄が敗北した急峻な地形を体感できる。
築城年代は不詳だが、村上義清の支城として機能していたとされる。
天文19年(1550年)、武田信玄が攻略を試みたが、急峻な地形と堅固な守備に阻まれ大敗を喫した。
この敗戦は「砥石崩れ」として知られ、信玄の数少ない敗北の一つに数えられる。
その後、真田幸隆(昌幸の父)が調略によって城を落とし、真田氏の所領となった。
真田昌幸は上田城を本城としつつ、戸石城を重要な支城・詰城として整備した。
1585年の第一次上田合戦では、長男・信之がこの城に布陣し、徳川軍の側面を強襲して壊滅させた。
城の地形は上田城との連携に最適で、挟撃作戦の拠点として機能した。
1600年の第二次上田合戦でも真田軍の拠点として…
天文19年(1550年)、武田信玄は村上義清の支城・砥石城を攻略しようとしたが、急峻な地形に阻まれ大敗を喫した。これが「砥石崩れ」として知られる信玄の数少ない大敗の一つ。翌年、真田幸隆(昌幸の父)が調略によって城を開城させ、武田家の信濃支配を進める足がかりとなった。
真田昌幸は上田城を本城としつつ、戸石城を重要な支城として機能させた。天正13年(1585年)の第一次上田合戦では、長男・信之がこの城から出陣して徳川軍の側面を突き、上田城と戸石城の連携が勝利の決め手となった。
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