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PERSON
北条実時
北条実時
金沢文庫の創設者
1224-1276 · 享年 52歳
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生涯
北条実時は鎌倉幕府の有力御家人で、北条氏の一門である金沢流北条氏の祖。元仁元年(1224年)に北条実泰の子として生まれる。幼少より学問を好み、和漢の書籍を広く蒐集した。武蔵国六浦荘(現在の横浜市金沢区)に居館を構え、その蔵書を基に金沢文庫を創設した。金沢文庫は日本最古の武家文庫として知られ、和漢の典籍・仏典・歴史書など膨大な蔵書を誇った。実時は称名寺を菩提寺として建立し、寺と文庫を一体として運営した。文永の役(1274年)の際には幕府の要職にあり、国防にも貢献した。建治2年(1276年)に53歳で没。その蔵書と学問への情熱は子孫に受け継がれ、金沢文庫は鎌倉時代を通じて日本の知の拠点であり続けた。
人物像
武家でありながら学問を何よりも重んじた知識人。和漢の古典に通じ、書写や蒐集に心血を注いだ。温厚な性格で、一門の中でも信望が厚かった。
歴史的意義
金沢文庫は日本の文化史上極めて重要な存在であり、中世日本の学問・教育の拠点として機能した。現在も神奈川県立金沢文庫として収蔵品が公開されており、実時の学問への情熱は800年を経た今も生き続けている。
逸話・エピソード
金沢文庫——北条実時の知的遺産と武家文化の中心
北条実時は鎌倉幕府の有力御家人として活躍しながら、武家として異例の学識を持つ文人でもあった。武蔵国金沢(現・横浜市金沢区)の称名寺に隣接して「金沢文庫」を創設し、漢籍・仏典・和書など広範な書物を収集した。この文庫は日本最古の武家文庫として知られ、現代でも神奈川県立金沢文庫として一部の資料が保存・公開されている。武家文化に学問の素地を与えた先駆的存在。
北条実時 年表
1224
北条実時、鎌倉に生まれる
1240
元服。学問に励む
1247
宝治合戦。三浦氏滅亡
1253
六波羅探題として京都に赴任
1258
称名寺を開基
1260
金沢の地に文庫を設ける(金沢文庫の前身)
1275
蒙古襲来(文永の役)後の対応に奔走
1276
北条実時、53歳で死去
関連する歴史的事件
1247
宝治合戦
1247年6月、北条時頼が三浦泰村一族を滅ぼした合戦。鎌倉幕府の有力御家人・三浦氏は安達景盛(北条氏外戚)と対立を深めており、北条時頼は安達氏と連携して三浦氏討滅を決定した。6月5日、安達景盛邸での法要の場を襲撃する形で戦端が開かれ、鎌倉中が戦場となった。三浦泰村は一族郎党と共に法華堂に籠り、五百余人が自害して果てた。この合戦で三浦氏が滅亡し、北条得宗家(嫡流)の専制体制が確立する大きな画期となった。鎌倉幕府の政治史における重要事件である。
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ゆかりの地 — 4
瀬戸神社
神奈川県
実時は金沢の地を拠点とし、瀬戸神社を氏神として崇敬した。金沢北条氏の繁栄と共にこの神社も庇護された。
琵琶島神社
神奈川県
政子が勧請した弁財天を、金沢の地の守護として実時も崇敬した。金沢北条氏の繁栄と共にこの神社も庇護された。
称名寺
神奈川県
実時は正嘉2年(1258年)にこの地に持仏堂を建立し、生涯をかけて和漢の書籍・仏典を収集して金沢文庫の基礎を築いた。鎌倉武士としては異例の教養人で、祖父・義時から受け継いだ書物に加え、宋から渡来した漢籍や京都の公家から譲り受けた古典を精力的に蒐集した。建治2年(1276年)に53歳で没し、自ら開基したこの寺の裏山に葬られた。実時の学問を愛する遺志は子の顕時・孫の貞顕に継承され、金沢文庫は中世日本最大の文庫に発展した。称名寺と金沢文庫は実時の知への情熱が形となった記念碑的存在である。
北条実時の墓(称名寺)
神奈川県
実時自身が眠る場所。自ら開基した称名寺に葬られ、金沢文庫と共に学問を愛した実時の遺志が今に伝えられている。
─ 完 ─
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