源頼朝と北条政子の次男として鎌倉に生まれる。1203年に兄・頼家が北条氏によって廃されると、11歳で第三代将軍に就任した。実権は外祖父・北条時政そして叔父・北条義時ら北条氏が握り、実朝は政治的には傀儡的な立場に置かれた。しかし彼が文学に示した天賦の才は本物であった。藤原定家に師事して和歌を学び、その歌風は万葉集の雄大な調べを継承しつつも深い情感を持つとして高く評価された。勅撰集には九十余首が入集し、家集『金槐和歌集』は鎌倉時代最高の歌集のひとつとされる。歌聖・正岡子規は「実朝の歌は日本文学の頂点の一つ」と讃えた。政治的には中国(宋)に渡航しようとして大型船の建造を命じ由比ガ浜での進水に失敗したエピソードも有名。1219年1月27日、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参拝した際、甥の公暁に暗殺された。享年27歳。直系の源氏将軍はここで途絶え、鎌倉幕府は北条氏の執権政治に移行した。