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PERSON
藤堂高虎
藤堂高虎
築城の名人・七度主君を替えた武将
1556-1630 · 享年 74歳
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生涯
1556年、近江の土豪の家に生まれた。浅井長政・磯野員昌など七人の主君を渡り歩いたとされ、「七度主君を替えた男」として知られる。最終的に豊臣秀長に仕え、その死後は豊臣秀吉・徳川家康に重用された。1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に属した。その最大の功績は築城の技術にあり、今治城・宇和島城・篠山城・津城・伊賀上野城・江戸城外郭など多くの城郭の設計・築城に関わった。特に高石垣の技術を発展させ、近世城郭の様式を確立した第一人者として名高い。また上野伊賀32万石の大名として、治水・新田開発・産業振興など藩政にも優れた手腕を発揮した。徳川家康・秀忠・家光の三代に仕え、1630年に75歳で没した。
人物像
実利を重んじる現実主義者で、時代の流れを読む卓越した政治的判断力を持っていた。主君を変えることを厭わない柔軟さと、新しい技術・知識への旺盛な探求心が特徴的であった。
歴史的意義
今治城・宇和島城など藤堂高虎が手掛けた城郭は現在も各地に残っている。高石垣の技術は後の江戸城や大阪城の改修にも応用された。津藩32万石の礎を築き、藤堂家は幕末まで伊勢・伊賀を治めた。
逸話・エピソード
七度主君を変えた「築城の名手」——藤堂高虎の処世術と城郭技術
藤堂高虎は七人の主君に仕えたとされ、「裏切り者」と批判される一方で「乱世を生き抜く処世術の達人」とも評される。最終的に徳川家康に仕えて伊勢・伊賀津藩32万石を得た。その真の才能は築城技術にあり、今治城・宇和島城・津城など約20の城を手がけた。特に高石垣の技術は後の江戸城・大坂城改修にも採用され、日本の城郭建築史に大きな影響を与えた。高虎の城は石垣の傾斜・高さ・工法において当時最先端の技術を誇り、「高虎流」として後世に受け継がれた。
名言
「武士は主を変えてこそ、身の器量も知られるというものだ」
ゆかりの地 — 2
伊賀上野城
三重県
藤堂高虎は慶長13年(1608年)に伊賀・伊勢を領して伊賀上野城の大改修に着手した。高さ30メートルを超える「日本一の高石垣」を築いて堅固な要塞とし、高虎の築城技術の粋を示した。慶長17年(1612年)に嵐で天守が倒壊し再建されなかったが、この高石垣は高虎が「築城の名人」と呼ばれる所以を体現する傑作として今も聳え立つ。
今治城
藤堂高虎は慶長7年(1602年)に今治城を築城し、伊予今治藩の礎を築いた。海水を引き込んだ三重の水堀と来島海峡を掌握する立地は、高虎の築城思想の集大成。後に伊賀・伊勢に転封されたが、「築城の名人」として讃えられる高虎の技術が最も輝いた城のひとつである。
─ 完 ─
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