慶長7年(1602年)、築城の名手として知られる藤堂高虎が伊予今治の地に今治城を築いた。瀬戸内海に直結する海水を引き込んだ三重の水堀を持つ海城として設計され、城内に船が直接入れる構造は全国でも珍しい形式とされる。高虎はその後伊勢・伊賀に転封となり、慶長13年(1608年)に松平定房の祖先にあたる藤堂系の藩主が去った後、元和元年(1615年)に松平定房が入封し今治藩の藩主として幕末まで統治した。江戸時代を通じて伊予今治藩の居城として機能し、来島海峡を望む要衝の地に威容を誇った。明治維新後の廃城令(1873年)により城郭建築は解体・撤去され、長らく石垣と堀のみが残る状態となった。昭和55年(198…