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PERSON
徳川綱吉
徳川綱吉
犬将軍
1646-1709 · 享年 63歳
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生涯
江戸幕府第5代将軍(在職1680-1709年)。徳川家光の四男として生まれ、館林藩主を経て将軍となった。儒学・仏教への深い造詣を持ち、湯島聖堂の再建や和歌・能への庇護など文化振興に力を注いだ。一方、1685年から発令した「生類憐みの令」は犬・鳥・魚など生き物全般の殺傷を厳しく禁じ、特に犬への保護が徹底されたことから「犬将軍」の異名を得た。この法令は江戸庶民に甚大な不便を強い、違反者多数が処罰されたとして悪法の代表とされてきたが、近年は動物愛護や命の尊重という近代的視点から再評価する研究者も増えている。また、貨幣改鋳による財政政策では元禄文化の繁栄を後押ししたが、後に激しいインフレを招いた。1709年に62歳で死去。
人物像
学問への情熱が深く、将軍自ら儒学の講義を行うほど知識欲旺盛だった。生来優しい気性で生き物への慈悲心が強い反面、政策の強引な推進や側近への偏重が批判を招いた。
歴史的意義
「生類憐みの令」は賛否あるが、日本史上初の動物保護的立法として現代でも論じられる。元禄文化の物質的・知的繁栄を支えた治世であり、湯島聖堂は今も東京の史跡として残る。
逸話・エピソード
生類憐みの令と「犬公方」の異名
1685年から段階的に発令された「生類憐みの令」は、犬・猫・魚・虫に至るまであらゆる生き物の殺傷を厳禁した。特に犬への保護が徹底され、江戸市中には野良犬が溢れ、専用の御用犬小屋が大規模に設置された。違反者は遠島・死罪に処せられる厳罰で、江戸庶民を大いに苦しめたとして後世に「悪法」と語り継がれる一方、近年は動物愛護の先駆けとして再評価する研究者も増えている。
将軍みずから講義した儒学の君主
綱吉は儒学への造詣が深く、将軍みずから臣下に論語などを講義するという前代未聞の姿勢を見せた。湯島聖堂の再建(1690年)を主導し、孔子廟を江戸に整備して儒教の振興に力を注いだ。元禄文化の絢爛たる繁栄も彼の治世に花開き、近松門左衛門・松尾芭蕉・井原西鶴ら偉大な文化人が活躍した。
関連する歴史的事件
1685
生類憐みの令
貞享2年(1685年)以降、五代将軍徳川綱吉が発布した動物愛護と殺生禁止の総称。犬・鳥・魚・虫まで及び、特に戌年生まれの綱吉は犬を手厚く保護(「犬公方」)、中野・四谷に犬小屋を設け数万頭を収容した。違反者は流罪・死罪にも処された。生類憐みは60回以上発布され、24年間続いた。過酷な運用で民衆の反発を招き悪法と評されたが、一方で捨て子・病人の保護、殺伐とした戦国気風の払拭、命を尊ぶ文治政治の象徴として再評価の動きもある。綱吉没後廃止。
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ゆかりの地 — 3
要津寺
東京都
五代将軍徳川綱吉の側用人・牧野成貞は要津寺に深く帰依し、寛文年間に私財を投じて堂宇を再興した。成貞は綱吉の絶大な信任を得た側近であり、成貞の庇護によって要津寺は本所地区の有力寺院へと発展した。
中野犬屋敷跡記念碑
東京都
5代将軍・徳川綱吉は貞享4年(1687年)から元禄・宝永期にかけて「生類憐みの令」を繰り返し発布し、特に戌年生まれであった自らの信仰と母・桂昌院の仏教的な慈悲思想のもと、犬を殺傷した者を遠島・死罪とするなど極端な動物保護政策を展開した。江戸の犬収容のため、当初は喜多見・四谷・大久保に犬小屋が置かれたが、元禄8年(1695年)には中野に超巨大な「御囲御用屋敷」が設置された。最盛期には総面積30万坪に10万〜30万頭の犬が飼育され、維持費は年間で金9万8千両(現在価値で数百億円相当)に及び、町人からの課徴「犬扶持」が重い負担となった。宝永6年(1709年)1月10日の綱吉死去の直後、後継の家宣はただちに生類憐みの令を廃止し、御囲も速やかに解体された。中野区役所前の犬の像は、この「犬公方」の治世が中野の地形・地名(囲町)に残した深い痕跡の象徴である。
江島杉山神社
東京都
五代将軍徳川綱吉は持病に苦しんでいたが、杉山和一の鍼治療により快癒した。綱吉は深く感謝し、本所一ツ目に広大な屋敷地を与え、「望みのものは何でも与えよう」と申し出た。和一は自らの利益ではなく「目が見えるようになりたい」と答えたという逸話が残る。この土地が江島杉山神社の起源となった。
─ 完 ─
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