東京都中野区中野4-8-1の中野区役所前に立つ、江戸時代の「中野御囲御用屋敷(中野犬屋敷)」跡を示す記念碑・犬の像。元禄8年(1695年)、5代将軍徳川綱吉が発布した「生類憐みの令」に基づき、江戸中の野犬を収容するため設けられた超巨大な犬舎の跡地。当初は現・なかのZERO一帯の「一の囲」として始まったが収容数が追いつかず、現・サンモール周辺に「二の囲」、区役所と警察大学校跡地一帯に「三の囲」、環七あたりまで「四の囲」、南側の中野三丁目一帯に「五の囲」と増築を重ね、最盛期には総面積約30万坪(東京ドーム約20個分)、収容犬数は10万頭とも30万頭とも伝えられる史上空前の規模に達した。医師と役人が配置され、犬に一日白米3合・味噌50文・干鰯1合が与えられたと記録されるが、莫大な維持費は幕府財政を圧迫した。宝永6年(1709年)綱吉の死去とともに生類憐みの令は廃止され、御囲も短期間で消滅、跡地は…
元禄8年(1695年)、5代将軍徳川綱吉の生類憐みの令に基づき、江戸中の野犬収容のため中野に「御囲御用屋敷」が設置された。初め現・なかのZERO周辺の「一の囲」として開設されたが収容しきれず、サンモール周辺の「二の囲」、区役所と警察大学校跡地の「三の囲」、環七方面の「四の囲」、中野3丁目一帯の「五の囲」と順次拡張、最盛期には約30万坪・収容犬10万〜30万頭の規模に達した。莫大な維持費は幕府財政を圧迫。宝永6年(1709年)綱吉死去で生類憐みの令は廃止、御囲もほぼ即時に消滅し、跡地は鷹場・桃園を経て、明治以降は陸軍用地、戦後は中野区役所となった。区役所前の犬の像「御囲」は昭和43年(1968年…
5代将軍・徳川綱吉は貞享4年(1687年)から元禄・宝永期にかけて「生類憐みの令」を繰り返し発布し、特に戌年生まれであった自らの信仰と母・桂昌院の仏教的な慈悲思想のもと、犬を殺傷した者を遠島・死罪とするなど極端な動物保護政策を展開した。江戸の犬収容のため、当初は喜多見・四谷・大久保に犬小屋が置かれたが、元禄8年(1695年)には中野に超巨大な「御囲御用屋敷」が設置された。最盛期には総面積30万坪に10万〜30万頭の犬が飼育され、維持費は年間で金9万8千両(現在価値で数百億円相当)に及び、町人からの課徴「犬扶持」が重い負担となった。宝永6年(1709年)1月10日の綱吉死去の直後、後継の家宣はただちに生類憐みの令を廃止し、御囲も速やかに解体された。中野区役所前の犬の像は、この「犬公方」の治世が中野の地形・地名(囲町)に残した深い痕跡の象徴である。