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PERSON
山県有朋
山県有朋
日本陸軍の父
1838-1922 · 享年 84歳
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生涯
長州藩の下級武士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学び尊王攘夷思想を身につけた。高杉晋作が創設した奇兵隊に参加し、四境戦争・戊辰戦争で武功を上げた。明治維新後はドイツ・フランスに渡って近代軍制を研究し、帰国後に徴兵令(1873年)の制定と近代的な軍制の確立に尽力した。軍人勅諭(1882年)の起草にも深く関わり、日本陸軍の精神的基盤を形成した。政治面でも二度の内閣総理大臣(第1次:1889〜1891年、第2次:1898〜1900年)を務め、内務省・軍部の官僚組織の整備を進めた。「藩閥政治」の象徴として伊藤博文と時に協力し時に対立しながら、明治政府の権力構造を規定した。晩年も政界の黒幕として大正政治に影響を及ぼし、元老の一人として絶大な権力を持ち続けた。1922年2月1日に83歳で没した。近代日本の軍事・政治を形作った最重要人物の一人であり、その影響力は死後も長く続いた。作庭家としての一面も持ち、東京・小田原・京都の別邸に名庭園を残した。
人物像
剛直で秩序を重んじる軍人気質の政治家。私情を排して国家と組織のために行動し、強権的な官僚支配を好んだ。その反面、庭園設計に情熱を傾ける繊細な一面も持っていた。
歴史的意義
近代日本陸軍の創設と徴兵制度の確立は山県の最大の功績。長州閥官僚政治の体制は昭和期まで日本の権力構造に深く影響した。
逸話・エピソード
徴兵制の創設——「国民皆兵」で日本を近代軍事国家に変えた長州の元帥
山県有朋は奇兵隊出身の下級武士から日本陸軍の父となった。1873年に制定した徴兵令(国民皆兵)は従来の武士身分に依存した軍制を根底から変革し、全国民を対象とした近代的な常備軍を誕生させた。日清・日露戦争での勝利はこの徴兵制陸軍の強さによるものであった。政治面でも元老として明治・大正時代の政治を陰から支配し、「超然主義」(政党政治に関わらない超然とした姿勢)を維持した。長州閥官僚政治体制を確立し、その影響は昭和時代まで及んだ。
ゆかりの地 — 2
護国寺
東京都
山縣有朋(1838-1922)は長州出身の元帥陸軍大将・首相で、近代日本陸軍の父。大隈と同じく1922年に没し国葬で護国寺墓地に葬られた。墓所は東京都文化財に指定されている。山縣は晩年、椿山荘(現・目白の椿山荘)に居住し護国寺との縁が深かった。墓地には伊藤博文以後の元老たちが多く葬られ、明治政府首脳の事実上の集団墓地となっている。
椿山荘
東京都
長州藩士から陸軍元帥・元老にまで上り詰めた山縣有朋は、伊藤博文と並ぶ明治憲法体制の立役者であり、陸軍の父・日本政党政治の敵役と評されることも多い毀誉褒貶相半ばする政治家であった。その山縣が政務の合間に心を寄せたのが造園で、京都の無鄰菴、小田原の古稀庵、そしてこの椿山荘は「山縣の三名園」と称される。明治11年の取得以降、山縣は自ら図面を引き、京都の名庭師・小川治兵衛と親交を結びながら、東京で最も完成度の高い明治庭園を作り上げた。現在の椿山荘の水の流れや庭石配置は山縣の美意識の直接の遺産である。
─ 完 ─
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