東京メトロ有楽町線「護国寺駅」から徒歩1分
東京都文京区大塚5-40-1
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安産祈願・子授け・子育て守護。神功皇后や木花咲耶姫命、水天宮・鬼子母神などに由来。
東京都文京区大塚に位置する真言宗豊山派の大本山で、正式名称は神齢山悉地院大聖護国寺。天和元年(1681年)、五代将軍徳川綱吉が生母・桂昌院の発願により建立した将軍家祈願寺で、本尊は天然琥珀の如意輪観世音菩薩坐像(桂昌院の念持仏)。元禄10年(1697年)建立の観音堂(本堂)は江戸期の権現造を完存し、東京大空襲の戦災を奇跡的に免れた都心屈指の江戸建築として国の重要文化財に指定されている。月光殿(旧日光院客殿、桃山様式)も国重文。広大な境内には大隈重信・山縣有朋・三条実美・大山巌・益田孝など明治の元勲・実業家の墓所が並び、近代日本史の重要人物が眠る霊域でもある。茶道総司所として「華道・茶道」の中心寺院でもあり、月例の不老門茶会で知られる。東京メトロ有楽町線「護国寺駅」直結。
天和元年(1681年)、五代将軍徳川綱吉が生母・桂昌院の発願により、桂昌院が深く帰依した亮賢僧正を開山として神齢山悉地院大聖護国寺を建立したのが起源。本尊は桂昌院の念持仏である天然琥珀製の如意輪観世音菩薩坐像で、極めて希少な素材で作られた江戸期屈指の名仏として知られる。元禄10年(1697年)に観音堂(現本堂)が建立され、現在も江戸期の権現造を完存する貴重な遺構として国の重要文化財に指定されている。元禄期に桂昌院が三宝院門跡から1万両を献じて伽藍を整備、月光殿(旧日光院客殿、桃山様式の重要文化財)・薬師堂・大師堂・本坊・茶寮など多くの堂宇が整った。江戸期を通じて将軍家祈願寺として隆盛、徳川宗家…
桂昌院(けいしょういん、1627-1705)は五代将軍綱吉の生母で、京都の八百屋の娘から将軍生母にまで上り詰めた稀有な女性。深く帰依していた亮賢僧正の進言を受け、天和元年(1681年)に綱吉に願って護国寺を建立させた。本尊の如意輪観音坐像は桂昌院自身の念持仏で、天然琥珀という極めて珍しい素材で作られている。元禄期には三宝院門跡から1万両を献じて伽藍を整備、桂昌院の篤信は綱吉政権下での護国寺の隆盛を支えた。
山縣有朋(1838-1922)は長州出身の元帥陸軍大将・首相で、近代日本陸軍の父。大隈と同じく1922年に没し国葬で護国寺墓地に葬られた。墓所は東京都文化財に指定されている。山縣は晩年、椿山荘(現・目白の椿山荘)に居住し護国寺との縁が深かった。墓地には伊藤博文以後の元老たちが多く葬られ、明治政府首脳の事実上の集団墓地となっている。
大隈重信(1838-1922)は明治の元勲・首相、早稲田大学創設者。1922年に死去すると国民葬が日比谷公園で営まれ、護国寺墓地に埋葬された。境内の大隈墓は早稲田大学関係者・自由主義者の聖地ともなり、命日(1月10日)には毎年墓参が行われる。墓石は重信の遺志により質素な作りだが、広い区画と参拝者の多さで知られる。
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