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椿山荘
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椿山荘
東京都
創建
1878
種別
史跡
アクセス
東京メトロ有楽町線江戸川橋駅から徒歩10分、都電荒川線早稲田停留場から徒歩10分
東京都文京区関口2-10-8
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基本情報
史跡
創建 1878
148年目
概要
目白台の高台に広がる2万坪の回遊式庭園で、古くから椿の名所として知られた「つばきやま」の地を、明治11年(1878年)に山縣有朋が取得して「椿山荘」と命名したのが始まり。山縣は長州出身の元老・陸軍元帥・内閣総理大臣を歴任した明治の重鎮で、造園を趣味とし、京都の小川治兵衛との交流の中で琵琶湖疎水系の水を思わせる流れを園内に配し、明治日本を代表する庭園の一つを造り上げた。園内には広島・竹林寺から大正14年(1925年)に移築された三重塔(国の登録有形文化財)、樹齢500年超の椎の大木、高低差20メートルを活かした大滝など、東京では稀少な自然景観と歴史建築が共存する。大正7年(1918年)に藤田財閥二代目・藤田平太郎が取得し、戦後の昭和27年(1952年)から結婚式・宴会場として営業開始、昭和30年(1955年)に藤田観光が運営を継承し、現在は「ホテル椿山荘東京」として国内外の賓客を迎える。庭園…
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由緒
江戸期は上総久留里藩黒田家の別邸を含む一帯が「つばき山」と呼ばれた景勝地。明治11年(1878年)に山縣有朋が取得し「椿山荘」と命名、自ら造園した。大正7年(1918年)藤田平太郎が取得、昭和27年(1952年)から宴会場として営業、昭和30年(1955年)藤田観光が運営。大正14年(1925年)に広島から移築した三重塔は国登録有形文化財。
山県有朋とのつながり
長州藩士から陸軍元帥・元老にまで上り詰めた山縣有朋は、伊藤博文と並ぶ明治憲法体制の立役者であり、陸軍の父・日本政党政治の敵役と評されることも多い毀誉褒貶相半ばする政治家であった。その山縣が政務の合間に心を寄せたのが造園で、京都の無鄰菴、小田原の古稀庵、そしてこの椿山荘は「山縣の三名園」と称される。明治11年の取得以降、山縣は自ら図面を引き、京都の名庭師・小川治兵衛と親交を結びながら、東京で最も完成度の高い明治庭園を作り上げた。現在の椿山荘の水の流れや庭石配置は山縣の美意識の直接の遺産である。

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