天保8年(1837年)、水戸藩主・徳川斉昭の七男として生まれる。幼名は七郎麻呂。水戸藩は「尊王」の家風で知られ、慶喜は幼少期から帝への忠誠と日本の将来について深く考える環境で育った。
嘉永6年(1853年)、ペリーの黒船来航で日本は激動の時代を迎える。一橋家を相続していた慶喜は、将軍継嗣問題で「一橋派」の推す候補となるが、大老・井伊直弼の安政の大獄により謹慎処分を受ける。
慶応2年(1866年)、第15代征夷大将軍に就任。フランスの支援を受けて幕政改革に取り組み、陸軍の近代化や行政機構の改革を進めた。しかし薩長同盟の圧力は強まる一方だった。
慶応3年(1867年)10月14日、二条城で大政奉還を行い、260年続いた徳川幕府の政権を朝廷に返上した。新体制での主導権確保を狙った政治的計算もあったが、結果的に内戦の拡大を防ぐ英断となった。
慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗北すると、慶喜は大坂城から軍艦で江戸に逃れ、上野寛永寺で謹慎。勝海舟に全権を委ね、江戸城の無血明け渡しを実現させた。その後水戸、次いで静岡に移り、明治以降は趣味人として写真撮影・狩猟・自転車などを楽しむ余生を過ごした。
大正2年(1913年)11月22日、77歳で没。最後の将軍でありながら、新時代に適応して長寿を全うした数少ない人物であった。