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徳川慶喜墓(谷中霊園)
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徳川慶喜墓(谷中霊園)
東京都
創建
1913
種別
史跡
アクセス
JR日暮里駅南口から徒歩8分
東京都台東区谷中7-5-24(谷中霊園)
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基本情報
史跡
創建 1913
113年目
概要
江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜(1837〜1913)の墓所。歴代徳川将軍の多くは増上寺(浄土宗)または寛永寺(天台宗)に葬られたが、慶喜自身は明治天皇への敬意から神道式の葬礼を望み、谷中霊園の一角に円墳様式の墓が造営された。円形の土盛りの上に玉垣を巡らし、神式の瑞籬と鳥居風の墓標が立つ独特の形式は、徳川家墓制の中でも異彩を放つ。幕末の動乱期に大政奉還・江戸無血開城を決断し、260年余続いた徳川の世を平和裏に閉じた最後の将軍として歴史的評価が高い。明治維新後は静岡で謹慎の後、爵位を受けて貴族院議員を務め、写真・狩猟・油絵など多趣味な文化人として晩年を過ごした。
由緒
徳川慶喜は1837(天保8)年、水戸徳川家に生まれ、1866(慶応2)年に江戸幕府第15代将軍に就任した。1867(慶応3)年に大政奉還を断行、翌1868年には江戸城の無血開城を実現し、260年余にわたる徳川幕府の歴史を平和裏に終結させた。維新後は静岡に謹慎し、長らく政治の表舞台から退いていたが、1897(明治30)年に赦免を受けて東京へ移り、1902(明治35)年には公爵の爵位を授与されて貴族院議員に列せられた。1913(大正2)年に76歳で薨去すると、本人の遺志に従い神道式の葬礼が執り行われ、谷中霊園に円墳様式の墓所が造営された。これは歴代将軍が増上寺・寛永寺に葬られてきた慣例とは異なる、…
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徳川慶喜とのつながり
江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の墓所。大政奉還と江戸無血開城で260年続いた徳川の世を平和裏に閉じた最後の将軍。増上寺・寛永寺ではなく谷中霊園に神式の円墳で葬られているのは、明治天皇への敬意から自ら望んだ形という。

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