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負けた顔を一生持ち歩いた?家康「しかみ像」の秘密
三方ヶ原で大敗した家康が、なぜわざわざ恐怖に歪んだ自分の顔を描かせたのか。「自戒のための肖像」の意味と、日本一「反省」を大切にした武将の哲学を分かりやすく解説します。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
一
自分の「黒歴史」を一生見続けた男
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二
三方ヶ原の戦いとは?
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三
なぜ負けた顔を描かせたのか?
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四
「慢心」が失敗の原因だった
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五
「反省を活かす」ということ
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六
浜松城でゆかりの地を感じよう
›
七
よくある質問
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自分の「黒歴史」を一生見続けた男
みなさんは、自分の失敗した姿の写真や動画を、一生手元に置きたいですか?
普通はいやですよね。恥ずかしいし、消したい。
でも徳川家康は、それをやりました。しかも「わざわざ描かせた」んです。
これが「しかみ像(しかみぞう)」——家康が生涯手元に置き続けた、自分が恐怖に歪んだ顔の肖像画です。
三方ヶ原の戦いとは?
1572年、家康は武田信玄の大軍と戦い、完敗しました。
「三方ヶ原の戦い」です。
当時の武田信玄は最強クラスの大名で、「風林火山」の旗印で知られていました。家康はそれに正面から戦いを挑み、あっさりと負けてしまいます。
どれくらいひどい負け方だったかというと、家康は命からがら逃げて、馬上で思わず脱糞してしまったという逸話があるほど。それほど恐ろしかったんです。
なぜ負けた顔を描かせたのか?
この惨めな経験の後、家康はなんと自分の「その時の顔」を絵師に描かせました。
恐怖に歪み、目を白黒させ、全然格好よくない顔。
理由は「二度とこんな失敗をしないために、自分への戒めとして飾っておく」ためでした。
普通の武将なら、こんな恥ずかしい顔を残すなんて絶対にしません。でも家康は残した。それが彼の偉大さです。
「慢心」が失敗の原因だった
家康が三方ヶ原で負けた理由は、「慢心」でした。
信玄の大軍が通過するのをじっと待てばよかったのに、「俺だって戦える!」と正面から戦いを挑んでしまったんです。
若さからくる焦りと、「負けたくない」というプライド。それが判断を狂わせた。
しかみ像は、その「慢心した自分」を毎日見て戒めるためのものでした。
「反省を活かす」ということ
家康が最終的に天下を取れた理由の一つが、この「反省を活かす力」だと言われています。
桶狭間で信長が勝つ場面も見た。長篠で信長が鉄砲を使って武田を滅ぼす場面も見た。関ヶ原で最後に勝つまでの道のりも、すべて学びの連続でした。
しかみ像を毎朝見ながら「あの時の俺はバカだった。もう二度と油断しない」と誓い続けた家康——そういう生き方が、260年続く江戸幕府を生んだのかもしれません。
浜松城でゆかりの地を感じよう
三方ヶ原の戦いの拠点だった浜松城(静岡県浜松市)は、今も当時の石垣が一部残っています。城内には家康に関する展示があり、若き日の家康がいかに苦労したかが分かります。敗走した家康が身を潜めたとされる
浜松八幡宮
も近くにあります。
また三方ヶ原古戦場(浜松市)にも石碑が建っており、当時の地形を想像しながら歩くことができます。
徳川家康のゆかりの地一覧
で、他のスポットもまとめて確認できます。
よくある質問
しかみ像って今でも見られるの?
現在、しかみ像(正確には「徳川家康三方ヶ原戦役画像」)は名古屋市の徳川美術館に所蔵されています。実物を見ると、家康がどれほど追い詰められていたか、リアルに伝わってきます。
武田信玄って家康より強かったの?
当時の信玄は、まず間違いなく家康より強い武将でした。だからこそ家康は正面から戦うべきではなかった。それを分かっていながら戦ってしまったのが三方ヶ原での失敗です。
家康はなぜ最終的に天下を取れたの?
忍耐力です。信長・秀吉という「急いで天下を取った人たち」の後に、じっくりと力を蓄えていたのが家康でした。しかみ像を毎日見ながら「慢心しない」と誓い続けたことが、最終的な勝利につながったと言えます。
最終更新日:2026年6月1日
恐怖に歪む表情——しかみ像をアニメイラスト風に再解釈
© Toku / AI生成イラスト(Stable Diffusion)
浜松城(静岡県浜松市)——三方ヶ原の戦いで大敗した家康が拠点とした城
Wikimedia Commons
── 了 ──
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この記事の人物
徳
徳川家康
江戸幕府初代将軍
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