承和元年(834年)に出発の予定だった遣唐使は、篁の辞退と航海の失敗もあり、約60年後の894年に菅原道真の建議で正式に廃止されました。894年の廃止は篁の辞退から60年後で、彼の判断は結果的に「時代を先取り」していたと評価される面もあります。
「広い海原を、たくさんの島々を見ながら、私は漕ぎ出していった、と都の人々に伝えてくれ、海人の釣舟よ」。流人として絶望しながらも、自らの境遇を客観視する強い精神性が表れた歌で、百人一首屈指の名歌として知られます。
京都市東山区松原通東大路の六道珍皇寺に「冥途通いの井戸」があり、現在も拝観可能です。井戸自体は古代から存在しますが、篁の冥府通い伝説は中世以降の伝説。お盆の精霊迎えで知られる「六道さん」の本山として今も篤い信仰を集めます。
京都から隠岐諸島まで直線距離で約450km。当時の都人にとってはまさに「最果て」で、海路で約2週間かかったとされます。後の後鳥羽院・後醍醐天皇の配流地としても歴史に名を残す島です。
参議として朝廷の中枢に復帰、左大弁・刑部卿として法務行政を担当。著作に『令義解(りょうのぎげ)』(養老令の注釈)があり、平安期の法制度史において重要な人物。漢詩集『野相公集(やしょうこうしゅう)』も伝わります。