死後に桓武天皇周辺の不幸が連続したことが朝廷に怨霊の祟りと認識され、崇道天皇号の追贈・改葬・御霊神社建立など国家規模の鎮魂が行われたためです。菅原道真・崇徳院と並ぶ三大怨霊として、後世の御霊信仰の原型を作りました。
主祭神は早良親王(崇道天皇)で、藤原広嗣・橘逸勢・井上内親王ら無実の罪で死んだ皇族・貴族8柱を併せ祀ります。応仁の乱(1467年)の発端となった「上御霊神社の戦い」の場としても歴史に名を残します。
早良親王のほか、菅原道真(大宰府で憤死、雷神=天神となる)と崇徳院(讃岐で死亡)の三人を指すのが一般的。三人とも政治的に追放され、無実の罪で死んだ後に怨霊化した皇族・貴族です。
長岡京で続いた天変地異・疫病・皇族の死を桓武天皇は早良親王の怨霊と見なし、長岡京を放棄して平安京を造営したとされます。延暦13年(794年)の平安遷都には、怨霊からの逃避という宗教的動機が含まれていました。
京都市左京区の上高野エリアに鎮座する小さな古社。早良親王を主祭神とする全国でも珍しい神社で、賀茂川と高野川の合流点近く。観光客は少ないが、御霊信仰のルーツを訪ねる玄人向けの参拝地として知られます。