creator/[id]

Toku 編集部
武時
たけとき
武家史担当
史実か、否か。それだけだ
プロフィール
42歳。日本中世史の非常勤講師として複数の大学で教えながら、歴史雑誌や専門書のテクニカルライター・ファクトチェッカーとして執筆活動を続ける。博士課程まで進むもアカデミアのポストが空かず、私生活は質素そのもの。余暇の予算はすべて古書の購入と全国の城郭・合戦場跡へのフィールドワークに消える。ネット上に溢れる「大河ドラマのイメージだけで書かれた、嘘だらけの歴史まとめ記事」やユーザー投稿型サイトの薄い日記に憤りを感じており、「一般層が目にする Web にこそ、一次史料に基づいた本物の歴史の錨を下ろさねばならない」という義務感に近い情熱で記事を書いている。文体は冷徹な論文調。感情表現を一切交えず、元号と西暦を必ず併記し、『吾妻鏡』『信長公記』など一次史料の出典を明示する。担当領域は鎌倉から江戸までの武家政権史・合戦・城郭・武家文化。
武時が書いた記事
121
東本願寺と徳川家康——真宗大谷派が生んだ世界最大の木造建築
京都駅から徒歩7分、烏丸通に面して建つ東本願寺(真宗本廟)は、1602年に徳川家康が教如に寺地を寄進したことで西本願寺から分立した真宗大谷派の本山。世界最大級の
西
西本願寺(お西さん)|親鸞・御影堂・世界遺産と浄土真宗の本山
京都・下京区に建つ西本願寺は、浄土真宗本願寺派の総本山。通称「お西さん」。世界最大級の木造建築・御影堂と阿弥陀堂、桃山様式の国宝・唐門「日暮らし門」、京都三名閣
上野東照宮|家光が造営した金色殿と徳川家康を祀る関東の日光
上野東照宮は、徳川家康を祀り三代将軍家光が慶安4年に造営した金箔の「金色殿」が戦火を免れて現存する、関東を代表する東照宮。桃山様式の唐門・銅灯籠・透塀など社殿群
神武寺と北条政子|源頼朝が妻の安産祈願に参詣した逗子の古刹
逗子市の深山に佇む天台宗の古刹・神武寺は、源頼朝が妻・北条政子の安産を祈願して参詣したと『吾妻鏡』に記された鎌倉幕府ゆかりの霊場。行基開創の薬師如来は病気平癒・
薬王寺(金沢文庫)源範頼の悲劇と三河忌を今に伝える鎌倉の古刹
横浜市金沢区に建つ薬王寺は、源頼朝の弟・源範頼の別邸跡に創建された真言宗御室派の古刹。鎌倉草創期の悲劇を刻む範頼の位牌が伝わり、命日の8月24日には毎年「三河忌
湯島聖天・心城院の水琴窟と小堀遠州の美学
東京・文京区の湯島聖天(心城院)境内に湧く「柳の井」のそばには、琴の音に似た澄んだ響きを奏でる水琴窟があります。江戸時代の大名茶人・小堀遠州が考案したと伝わるこ
駅伝発祥の地・上野不忍池——日本初の東海道駅伝と記念碑の歴史
上野・不忍池のほとりに立つ「駅伝の碑」は、1917年(大正6年)に京都の三条大橋から上野不忍池まで走られた日本初の駅伝「東海道駅伝徒歩競走」のゴール地点を記す記
上野大仏・パゴダ完全参拝ガイド|合格祈願の聖地
上野恩賜公園に鎮座する上野大仏は、関東大震災で頭部が落下したまま顔面レリーフとして現存する釈迦如来。「これ以上落ちない」として受験生の合格祈願の聖地となり、背後
五条天神社(上野)参拝ガイド — 医薬と学問の古社
上野公園に鎮座する五条天神社は、日本武尊の東征に始まると伝わる古社。薬祖神の大己貴命・少彦名命と学問の神・菅原道真公を合祀し、医薬祈願から合格祈願まで幅広い御利
善福寺と伊豆の長八——本堂の軒下に生きる左官の鏝絵の超絶技巧
品川区北品川の善福寺は、永仁2年(1294年)創建の時宗の古刹。最大の見どころは本堂の軒下に残る、幕末の名左官・入江長八(伊豆の長八)の鏝絵だ。漆喰を鏝で立体的
利田神社と鯨塚——石鳥居と社殿の建築、東京唯一の鯨供養塚をめぐる
品川区東品川の利田神社(かがた神社)は、沢庵和尚が洲崎に弁財天を勧請して創建した古社。素朴な石鳥居と社殿、玉を抱く狛犬といった建築・石造の見どころに加え、寛政1
離宮八幡宮と大山崎油座 ― 日本最古の油の社と中世の専売特権
京都・大山崎に鎮座する離宮八幡宮は、貞観元年(859年)創建の古社であり、日本最古の荏胡麻油発祥地とされる。中世には「大山崎油座」を組織した神人が朝廷・幕府の権
宝蔵院(西方寺)完全参拝ガイド|金沢七福神と密教の聖地
横浜市金沢区柴町に建つ真言宗御室派の古刹・宝蔵院(此木山西方寺)。元禄期に中興された海辺の密教寺院で、横浜金沢七福神「寿老人」の札所かつ東国八十八ヶ所霊場第76
追浜の雷神社と大銀杏——火雷神を祀る古社の御神木と直書き御朱印
横須賀市追浜の雷神社は、雷の神・火雷神を祀る雷除けの古社。境内には樹齢400年を超える大銀杏の御神木がそびえ、「かまくらと三浦半島の古木・名木50選」に選ばれて
野島神社と金沢八景「野島夕照」完全参拝ガイド
横浜市金沢区の野島公園に鎮座する野島神社は、金沢八景「野島夕照」の地として江戸時代から夕日の名所として名高い古社。歌川広重の浮世絵にも描かれた絶景と海上守護の信
英勝寺——鎌倉唯一の尼寺を訪ねる参拝ガイド
鎌倉・扇ヶ谷に佇む英勝寺は、徳川家康の側室・英勝院が太田道灌の屋敷跡に創建した鎌倉唯一の尼寺。江戸初期の仏殿・山門・鐘楼・祠堂が重要文化財として現存し、竹林とシ
長昌寺と直木三十五——直木賞の名祖が眠る海辺の禅寺と直書き御朱印
横浜市金沢区富岡の長昌寺は、直木賞の名祖・直木三十五が「海の見える禅宗の墓」を望んで眠る臨済宗の古刹。金沢七福神の布袋尊を祀り、住職が一枚ずつ手で書く直書きの御
富岡八幡宮(横浜・金沢区)参拝ガイド——波除八幡と深川の本家
横浜市金沢区に鎮座する富岡八幡宮は、源頼朝が創建したと伝わる富岡の総鎮守。「波除八幡」の別名を持ち、江戸の深川・富岡八幡宮の分霊元(本家)として知られる。八幡神
ぼっち・ざ・ろっくの聖地神社を参拝する
TVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の聖地として知られる神奈川県内の神社を歴史的な視点から紹介。金沢八景の琵琶島神社・瀬戸神社、江ノ島の江島神社は、いずれも鎌倉時
金沢八景とは——琵琶島神社・瀬戸神社・称名寺を巡る歴史と景勝の旅
横浜市金沢区に広がる「金沢八景」は、江戸時代に明僧・心越禅師が選定し、歌川広重の浮世絵で全国に名を轟かせた8つの景勝地の総称。中心は「瀬戸秋月」と称された琵琶島
廣田神社参拝ガイド——「西宮」の地名を生んだ延喜式内名神大社
神功皇后が創建したと伝わる廣田神社は「西宮」の地名の由来となった延喜式内名神大社。天照大神の荒魂を祀り武運長久・勝利祈願で名高く、阪神タイガースも必勝祈願に訪れ
十日えびすと西宮神社——えびす総本社の参拝を徹底ガイド
全国約3500社えびす神社の総本社・西宮神社で行われる「十日えびす」は、毎年1月10日の開門神事「福男選び」で有名。商売繁盛の神えびす様の由来から、招福大まぐろ
五智国分寺と古代越後の仏教——上越に残る奈良時代の礎を訪ねる
上越市五智に立つ五智国分寺(ごちこくぶんじ)は、聖武天皇の詔によって建立された越後国分寺の法灯を継ぐ天台宗の古刹。三重塔(新潟県指定文化財)と山門が整然と並ぶ境
浄興寺と親鸞——越後配流の地に咲いた浄土真宗の源流を訪ねる
上越市に立つ浄興寺(じょうこうじ)は、浄土真宗の開祖・親鸞聖人が越後に配流された時代の縁を伝える名刹。国指定重要文化財の本堂を持ち、越後における浄土真宗信仰の源
雲洞庵と上杉謙信——越後の龍を育てた南魚沼の禅寺参拝ガイド
南魚沼市塩沢にある雲洞庵(うんとうあん)は「越後の龍」上杉謙信が少年期(虎千代)を過ごした曹洞宗の古刹。「雲洞庵の土踏んだか」という格言で名高く、石畳の参道と朱
沼垂の神社群と古代越後——新潟旧市街に息づく浜浦の信仰史
新潟市中央区沼垂(ぬったり)地区は古代の渟足柵(ぬたりのき)が置かれた越後の古代史の要衝。沼垂稲荷神社・沼垂白山神社・沼垂木場神社など複数の神社が古代からの信仰
新潟市の金刀比羅神社と北前船の歴史——海の守護神が見守った港
新潟市中央区には金刀比羅神社(寄附町)・金刀比羅神社(竜が島)・関屋金刀比羅神社など複数の金毘羅社が鎮座する。四国・金刀比羅宮から分霊された海上守護の神が北前船
新潟縣護國神社と戊辰戦争の記憶——越後の英霊を祀る鎮魂の杜
新潟市中央区に鎮座する新潟縣護國神社は戊辰戦争(1868年)から太平洋戦争までの越後出身戦没者を祀る。長岡藩の英霊と「敗者の祭祀」の歴史、8月の万燈みたま祭を解
氷川神社が多すぎる理由 — 関東に広がる280社ネットワーク
関東を旅すると氷川神社だらけで驚く。埼玉・東京を中心に約280社が存在するが、これはスサノオを祀る大宮の総本社から武士の信仰と江戸幕府の庇護を経て村ごとに広がっ
一向一揆とは何か——念仏が生んだ民衆の軍事力と百年自治
一向一揆は単なる農民反乱ではない。親鸞の浄土真宗が説いた平等救済の教義が、加賀国で守護大名を滅ぼし約百年の自治を実現し、信長と十年にわたって死闘を演じた宗教共同
日本武尊の伝説——熱田神宮と東征・西征の英雄神話
日本武尊(やまとたけるのみこと)とは、12代景行天皇の皇子として熊曾・蝦夷征討に赴いた古代の英雄神です。草薙の剣・白鳥伝説・熱田神宮との深い縁、そして実像と神話
織田信長と濃姫——蝮の娘が見た天下人の夢と消えた正室の生涯
天文17年(1548年)、政略結婚で結ばれた織田信長と斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)。「尾張のうつけ」と嘲られた夫の真価を誰よりも早く見抜いた女性の生涯は、しかし史
2
2026大河・豊臣秀長——影の宰相が支えた天下統一の実像
2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長(1540〜1591年)は、「公儀のことは利休に、内々のことは秀長に」と称された秀吉の片腕である。九州
源頼朝と北条政子——修験の霊場・伊豆山が育んだ鎌倉殿の愛
平治の乱で伊豆に配流された14歳の源頼朝は、約20年の流人生活の末に北条政子と出会った。修験道の霊場・伊豆山権現を逢瀬の場とした二人の関係は、治承四年(1180
辞世の句——上杉謙信ら戦国武将が死の間際に遺した言葉の意味
上杉謙信の漢詩「四十九年一睡夢」から豊臣秀吉「露と落ち」・細川ガラシャ「散りぬべき」・石田三成・明智光秀の辞世まで、戦国武将五人の句を一次史料から検証する。後世
延暦寺焼き討ちと石山合戦——信長の対寺社政策の全貌
元亀二年(1571年)の延暦寺焼き討ちと、元亀元年(1570年)から天正八年(1580年)まで十年を超えた石山本願寺合戦。信長は「仏敵」と糾弾されたが、その実態
本能寺の変と豊臣政権の誕生——信長の死が生んだ天下人
天正10年(1582年)6月2日未明、明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で斃れた。この衝撃から11日後、羽柴秀吉は山崎の戦いで光秀を討ち、清洲会議・大徳寺法
石田三成と関ヶ原——豊臣を守った忠臣の最期
慶長5年(1600年)9月15日、天下分け目の**関ヶ原の戦い**は半日で西軍の惨敗に終わった。石田三成は豊臣家存続のために立ち上がり、敗れ、斬首された——その
豊臣秀吉の天下統一への道:草履取りから関白へ、戦国最大の出世物語
農民出身で姓すら持たなかった男が、信長の草履取りから天下人へと駆け上がった。本能寺の変後の「中国大返し」、大坂城築城、全国統一、刀狩・兵農分離——秀吉の生涯をゆ
梶原山公園と梶原景時の最期——正治二年(1200年)に駿河国で滅んだ頼朝の懐刀
正治二年(1200年)正月、鎌倉を追放された梶原景時一族が駿河国梶原山で滅んだ。「鎌倉殿の十三人」の一員として頼朝に重用された景時が、頼朝没後の権力闘争に敗れた
衣笠城と三浦義明の討死——八十九歳の老将が頼朝の鎌倉入りを可能にした忠義の自己犠牲
治承四年(1180年)、三浦義明が八十九歳で討死した衣笠城。息子・義澄らを頼朝のもとへ逃がし自ら殿を務めた老将の決断は、幕府創業の連鎖を保つ重要な節点であった。
怒田城跡と三浦義澄——衣笠落城後の海路脱出が幕府創業を支えた治承四年の決断
治承四年(1180年)、衣笠城が陥落した際に三浦義澄が退き、海路で安房の頼朝のもとへ脱出した水軍拠点・怒田城跡。「舟倉」という地名にその故事が今も残る。三浦一族
問注所旧蹟と三善康信——武家司法の原点を示す御成町の石碑と初代執事の実像
元暦元年(1184年)に源頼朝が設置した鎌倉幕府の訴訟機関・問注所。初代執事・三善康信は「鎌倉殿の十三人」の一員で、京都の吏僚文化を東国にもたらした法制度の基盤
蛇苦止堂と比企の乱——若狭局の怨霊が示す北条権力暴力の記憶
建仁三年(1203年)の比企の乱で井戸に身を投じた若狭局の霊を鎮める妙本寺の鎮守・蛇苦止堂。北条義時が主導した比企一族の殲滅と、日蓮が鎮めたとされる蛇身の怨霊伝
畠山重忠と二俣川の合戦——坂東武者の鑑が散った元久二年の謀略
元久二年(1205年)六月、北条時政の謀略により武蔵国二俣川で討たれた畠山重忠。清廉潔白な武将として「坂東武者の鑑」と称えられた重忠の生涯と最期、そして事件の政
称名寺と金沢文庫——北条実時が築いた知と祈りの聖地・横浜金沢
正嘉2年(1258年)に北条実時が開いた真言律宗の古刹。横浜唯一の国宝・仁王門、復元された浄土式庭園、隣接する金沢文庫を擁し、鎌倉武士の「知と祈り」が凝縮した横
豊臣秀長と豊臣兄弟——天下統一を支えた弟と一族ゆかりの地を辿る
2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主役・豊臣秀長は、兄・秀吉の天下統一を兵站と調略で支えた「補佐役の天才」。秀長の死が招いた利休切腹・秀次事件・朝鮮出兵
北条高時 闘犬の汚名と泥牛庵が今に伝える鎌倉幕府最後の得宗
鎌倉幕府最後の得宗・北条高時は「闘犬に耽る暗愚な執権」として後世に刻まれてきた。しかしその評価は軍記物の描写に過ぎない。正中二年(1325年)に禅刹・泥牛庵を創
龍華寺(金沢八景)と徳川家康 五石の朱印地と龍源寺の縁起
横浜市金沢区の真言宗御室派・龍華寺は、天正十九年(1591年)に徳川家康が金沢遊覧の途次に宿泊し、寺領五石の朱印地を寄進したと伝わる古刹である。「龍源寺」誤奏上
瀬戸神社と徳川家康 頼朝を崇敬した将軍が守り続けた金沢の古社
横浜市金沢区の瀬戸神社は、治承四年(1180年)に源頼朝が創建した海上交通の守護社だ。天正十八年(1590年)の関東入府後、徳川家康はこの地を訪れ、頼朝崇敬の念
71
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード