二人は紐で結ばれて錦江湾に身を投げましたが、漁民が引き上げた時、西郷だけが息を吹き返し月照は絶命していました。一説には西郷の体力・体格の差、漁民救助の早さ、海水温の影響などが諸説あります。藩は西郷を救うため彼の「死」を偽装、奄美に密かに送ったとされます。
維新後の西郷は本妻・伊呂(いろ)と再婚し、愛加那との奄美生活は事実上終了。長男・菊次郎(後の京都市長)は維新後西郷家に引き取られ、長女・菊草は奄美で生活。現代でも奄美には西郷の血を引く家系が残っています。
屋根もない丸太組みの檻で、雨ざらし・直射日光下で幽閉される過酷な処遇。代官・土持政照が西郷の境遇を見かねて屋敷内に移すよう独断で取りはからい、命を救いました。土持の決断が日本の歴史を変えた瞬間。
四書五経(儒教の根本書)、史記(中国正史)、王陽明全集(陽明学)が中心。「敬天愛人」など西郷の有名な格言は、この島での読書で形成されたとされます。明治維新後の彼の思想・行動の哲学的基盤がここで作られました。
鹿児島本港から船で奄美大島約11時間、奄美空港からプロペラ機で奄美→沖永良部約30分。観光地化された奄美では「西郷南州謫居跡」、沖永良部では「西郷南州記念館」が西郷史跡。鹿児島市内の南洲神社・墓所・西郷洞窟と合わせれば、彼の生涯を立体的に辿れます。