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最強の敵どうしを仲直りさせた!龍馬の薩長同盟
100年以上も仲の悪かった薩摩藩と長州藩。それをたった数日で同盟させた坂本龍馬。なぜそんな離れ業ができたのか、その方法と意義を中学生にも分かるように解説します。この同盟が明治維新への扉を開きました。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
一
犬猿の仲を、仲直りさせた
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二
薩摩と長州は、なぜ仲が悪かった?
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三
龍馬はなぜ間に入れたのか?
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四
8日間の交渉
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五
「共通の敵を持つこと」の力
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六
高知・京都でゆかりの地を訪ねよう
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七
よくある質問
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犬猿の仲を、仲直りさせた
「あの二人、絶対仲直りしないと思ってたのに……」
クラスやチームの中で、こういう経験をしたことがある人もいるかもしれません。
でも歴史上で起きた「仲直り」の中で、最もドラマチックなものの一つが、1866年の「薩長同盟」です。
仲介したのが、坂本龍馬でした。
薩摩と長州は、なぜ仲が悪かった?
薩摩藩(今の鹿児島県)と長州藩(今の山口県)は、幕末において最も強力な二つの藩でした。
でも二藩は互いに激しく対立していました。
その極め付きが1864年の「禁門の変」。長州藩が京都で起こしたクーデターに対して、薩摩藩は幕府側について長州を砲撃したんです。つまり実際に戦った。
これ以降、薩摩と長州は完全に絶縁状態。政治的にも感情的にも、和解など考えられない状況でした。
龍馬はなぜ間に入れたのか?
ここで活躍したのが坂本龍馬です。
龍馬が両藩の橋渡しができた理由は、彼が「どちらの藩にも属していない」からでした。
龍馬は土佐藩(高知県)出身ですが、脱藩(藩から脱走)して浪人の身でした。特定の藩の利益を守る立場にない分、中立的な交渉者として動けたんです。
現代で例えると、会社同士の交渉で、どちらの会社にも属していない独立したコンサルタントが仲介に入るような感じです。
8日間の交渉
1866年1月、龍馬は西郷隆盛(薩摩)と桂小五郎(長州)を京都に集め、交渉を始めました。
最初は互いに顔も見たくない状態。でも龍馬は粘り強く説得し続けます。
「今は薩長の争いをしている場合じゃない。一緒に幕府を倒さなければ、どちらも生き残れない」
この論理が、ゆっくりと両者の心を動かしていきました。
そして8日間後、薩長同盟が成立。この同盟が、のちの明治維新への決定的な推進力となりました。
「共通の敵を持つこと」の力
薩長同盟が成立した理由を一言で言うなら、「共通の敵(幕府)を持った」からです。
互いに仲が悪くても、より大きな共通の目標があれば手を組める。これは現代でもよくある話ですよね。
スポーツで例えると、普段ライバル同士のチームが、共通の強敵チームに対して合同練習する、みたいな感じです。
高知・京都でゆかりの地を訪ねよう
龍馬ゆかりの地は、主に高知と京都にあります。
坂本龍馬像(桂浜)
(高知県高知市)——龍馬の有名な銅像が建つ太平洋を望む浜辺。龍馬がなぜあんなに海を見つめているのか、その目線の先を想像してみてください。
霊山護国神社
(京都市東山区)——幕末の志士たちが眠る地。薩長同盟を成し遂げた龍馬も、この地で歴史と向き合った志士たちの一人です。
坂本龍馬のゆかりの地一覧
で、他のスポットもまとめて確認できます。
よくある質問
薩長同盟の内容って具体的にどんなもの?
「長州が幕府に攻められた時、薩摩が支援する」などを約束したものです。軍事的な相互支援協定でした。
龍馬はこの功績で有名になったの?
実は龍馬が薩長同盟の仲介者だと広く知られるようになったのは、明治以降の話です。当時は龍馬の名前は一般に知られておらず、歴史の陰の立役者でした。
薩長同盟の後、どうなったの?
1867年、薩長を中心とした勢力が倒幕に成功し、明治政府が成立しました。龍馬が仲介した同盟なしには、この歴史的転換は起きなかったかもしれません。
最終更新日:2026年6月1日
対立する薩摩(紺)と長州(緑)の間に立ち、両手を広げて仲裁する龍馬(フラットイラスト)
© Toku / AI生成イラスト(Stable Diffusion)
桂浜(高知県高知市)——太平洋を見渡す浜辺に龍馬の銅像が立つ
Wikimedia Commons
── 了 ──
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この記事の人物
坂
坂本龍馬
薩長同盟の仕掛け人・幕末の志士
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