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ギリシャ人が松江に恋した——小泉八雲と出雲の出会い
1890年、アイルランド系ギリシャ人の作家ラフカディオ・ハーンは雑誌の特派員として松江(島根県)を訪れ、その土地と文化に恋をした。英語教師として1年間暮らした松江で日本人妻・小泉セツと出会い、「知られぬ日本の面影」を著した。八雲の目が発見した日本の美しさを解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
ギリシャ生まれのアイルランド人、日本へ
松江での出会い
「知られぬ日本の面影」
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)肖像——ギリシャ生まれ、日本に帰化した「怪談」の作者
Wikimedia Commons / Public Domain
「日本に来て初めて、本当の東洋を見た気がした」。
ラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)が日本に着いたのは1890年。雑誌の特派員という仕事のため来日しましたが、彼は日本に「恋をしてしまった」のです。
ギリシャ生まれのアイルランド人、日本へ
八雲の出自は複雑です。1850年にギリシャのレフカダ島でアイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれました。幼少期に両親が離婚し、アイルランドの大叔母に育てられました。16歳で左目を失明。
アメリカに渡り、シンシナティやニューオーリンズでジャーナリストとして活動した後、1890年に雑誌社の特派員として日本に渡りました。
武家文化の象徴——八雲が松江で感銘を受けた武家の町並みは、鎌倉時代以来の武士文化を今に伝える場所だった
Wikimedia Commons / Public Domain
松江での出会い
島根県松江市に英語教師として赴任した八雲は、この町に魂を奪われました。
宍道湖、神話の国・出雲、武家の町並み——当時の松江は江戸時代の面影を色濃く残した城下町でした。近代化の波に飲み込まれる前の「本物の日本」がそこにあったのです。
八雲は「今の日本は急速に変わっている。変わる前に記録しなければ」という使命感を持ちました。
小泉セツとの出会い
松江では旧士族の家柄の小泉セツ(1868-1932年)と出会い、結婚しました。
セツは八雲にとって単なる妻ではありませんでした。日本語が十分でない八雲のために、毎晩のように日本の民話・怪談・伝説をやさしい日本語で語り聞かせました。この「語り」が後の名作「怪談」の原点となります。
厳島神社(参考)——出雲・山陰地方の神話的な風土が小泉八雲の感性を強く引き付けた
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
「知られぬ日本の面影」
松江での生活を綴った「知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)」(1894年)は八雲の代表作の一つです。
神社の参拝、子どもたちの遊び、松江の朝の市場、盆踊り——当時の外国人がほとんど目を向けなかった「日常の日本」をみずみずしい文章で描いています。
西洋人が書いた日本論は明治時代にも多くありましたが、八雲ほど日本の「内側」から見た書き手はいませんでした。
ゆかりの地を訪ねよう
松江市に小泉八雲旧居(ヘルン旧居)があります。八雲が実際に住んだ武家屋敷で、国の史跡に指定されています。隣接する小泉八雲記念館と合わせて訪問できます。
小泉八雲のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
八雲はなぜ「日本に恋した」のか?
西洋近代化が進む前の日本に、彼が長年求めていた「消えゆく古い文化の美しさ」を見出したとされます。特に出雲・松江は神話の国として色濃く残っており、八雲の感性に深く響いたようです。
旧居の見学は予約が必要?
松江市の小泉八雲旧居は予約なしで見学でき、入館料は大人400円程度です(変動あり)。隣の記念館も合わせて訪れることをおすすめします。
最終更新日:2026年6月3日
── 了 ──
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ゆかりの地を訪ねる
記事で読んだ歴史は、現地に立つとさらに深く実感できます。下のスポットや巡礼コースから、次の参拝先を選んでみませんか。
1. 小泉八雲旧居
小泉八雲が「知られぬ日本の面影」を執筆した武家屋敷、国指定史跡
一 期 一 会
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