浄土真宗本願寺派の信仰は、蓮如上人(1415〜1499年)が堺や泉州の民衆に御文を通じて広めた教えに淵源する。和泉国西野村(現・堺市東区西野)は農業と地域共同体が結びついた土地であり、江戸時代には寺請制度のもと旭照寺が村の菩提寺として公認された。寺請制度は全国の住民が特定の寺院の檀家となることを義務付けた幕府の制度であり、各地の浄土真宗寺院がその役割を担った。「旭」の名が示す夜明けの光明のごとく、阿弥陀仏の智慧の光が衆生を照らすという念仏の教えを体現する道場として、代々の住職のもとで法要・葬儀・報恩講を執り行い、明治以降の時代の変遷にも法灯を絶やさず、現在も西野地区の信仰の核となっている。