愛知県豊田市足助町に位置する戦国時代の山城跡。正式名称は**真弓山城**(まゆみやまじょう)、別名を足助城・松山城とも称する。標高301mの真弓山山頂に本丸を置く連郭式山城で、尾根を利用した複数の曲輪が四方に展開する。足助鈴木氏が代々居城とし、今川氏・武田氏・徳川氏の間で揺れ動く西三河の激戦地として歴史に刻まれた。天正18年(1590年)、家康の関東移封に従い鈴木康重が去ると廃城。平成5年(1993年)、発掘調査成果に基づき高櫓・長屋・物見矢倉・厨など主要建物を復元した「城跡公園足助城」として整備され、**発掘調査に基づく全国初の本格山城復元**として知られる。香嵐渓から徒歩約40分、眼下に巴川と足助の重要伝統的建造物群保存地区の町並みを一望できる。
足助城(真弓山城)は15世紀以降に足助鈴木氏が真弓山に築いた山城で、正確な築城年は不明だが、享禄元年(1528年)以前には存在したことが確認されている。大永5年(1525年)、徳川家康の祖父・松平清康が足助城を攻撃し、城主・鈴木重政は降伏して婚姻同盟を結んだ。これにより鈴木氏は松平氏(後の徳川氏)の傘下に入り、長篠の戦いをはじめとする多くの合戦に参加することになる。元亀2年(1571年)2月、武田信玄の西上作戦の一環として武田勢が三河に侵攻し、足助城を含む足助七城が攻撃を受けた。天正3年(1575年)4月には武田勝頼の命により足助城は包囲・開城を余儀なくされ、一時武田方の支配下に入る。しかし同…