慶長7年(1602年)、細川忠興が豊前国に入封し、関ヶ原の戦い後の新たな支配体制のもとで小倉城を築いた。「唐造り」と呼ばれる、最上階が最下階より広い独特の意匠の天守を持つことで知られ、当時としても異例の構造であった。寛永9年(1632年)、細川氏が熊本へ転封となると、代わって小笠原忠真が入城し、以後明治維新まで小笠原藩の居城として北九州の政治・文化の中心を担った。幕末の慶応2年(1866年)、長州征伐(第二次幕長戦争)の際に城下が戦火に包まれ、天守をはじめとする建造物の多くが焼失した。明治維新後は廃城となり、城跡は陸軍用地として転用された時期もある。昭和34年(1959年)、鉄筋コンクリート造…