箱根峠一帯は古代より東西交通の要衝として知られ、旅人が往来する難所であった。慶長年間(1600年頃)の東海道整備に伴い、畑宿から箱根峠にかけての石畳道が整えられたとされ、道沿いには旅人の安全を祈願する祠や石仏が点在するようになったと伝わる。江戸時代を通じて箱根越えは「天下の険・箱根八里」と称され、参勤交代の大名行列から一般の旅人まで、多くの人々がこの峠道を往来した。その道中安全への信仰心を背景に、小社群は街道信仰の場として維持・充実されていったとみられる。また、甘酒茶屋は江戸時代初期から旅人の休憩所として営まれてきたと伝わり、社祠とともに峠越えの旅文化を支えた。明治以降、国道や鉄道の整備によっ…