畠山重忠(1164〜1205年)は武蔵国を拠点とした鎌倉幕府の有力御家人で、源頼朝の挙兵以来忠節を尽くした重臣である。元久2年(1205年)6月22日、北条時政・義時父子の謀略により、重忠は少数の手勢を率いて二俣川(現・横浜市旭区)付近で北条方の大軍に迎え撃たれ、壮絶な戦いの末に討ち死にした。この戦いは「二俣川の合戦」と呼ばれる。重忠は生涯清廉潔白であったとされ、「坂東武者の鑑」として後世に広く称えられた。討死の地には古くから供養の営みが続けられてきたと伝わる。近代以降、その遺徳を顕彰する機運が高まり、最期の地とされる現在地に供養塔と銅像が建立された。昭和期には横浜市により史跡公園として整備さ…