弘仁6年(815年)、弘法大師(空海)が巡錫の折に当地を訪れた際、機織りをする一人の娘と出会ったと伝わる。大師が袈裟の補修のために布を求めると、娘は喜んで反物を切り与えたという。大師はその篤志に感銘を受け、娘のために千手観世音菩薩像を刻んで本尊とし、一宇を開いたのが当寺の起源とされる。寺名「切幡寺」はこの縁起に由来する。中世以降の詳細な沿革は必ずしも明らかではないが、四国八十八箇所霊場の第10番札所として遍路信仰の拠点であり続けた。近世には徳島藩主・蜂須賀家の庇護を受け、寺勢が整えられた。とりわけ江戸時代初期に蜂須賀家が寄進した多宝塔(大塔)は、桃山建築の様式を伝える優れた遺構として知られ、現…