弘仁7年(816年)、弘法大師空海が高野山を開創するにあたり、山麓の要地に政所(まんどころ)および宿所として慈尊院を建立した。高野山が女人禁制であったため、空海の母・玉依御前は讃岐国からはるばる訪れ、この地に滞在したと伝わる。玉依御前は承和2年(835年)頃に当地で没したとされ、空海は月に9度山を下りて母を見舞ったとも伝えられ、「九度山」の地名の由来となったとされる。母の没後、空海は弥勒菩薩像を刻んで祀り、以後「女人高野」として高野山に登れない女性の参詣地として栄えた。中世以降、高野山参詣の起点として多くの信仰を集め、高野山町石道の出発点にも位置する。近世には女性の信仰がさらに広まり、安産や子…