正和5年(1316)、文章博士を務めた菅原長員が祖父・菅原長貞の菩提を弔うため、鎌倉建長寺から本覚了堂禅師を招いて末寺として開山した。その後一時衰退したが、永禄6年(1563)に信濃出身の玉叟珍が中興。天正12年(1584)には小田原北条氏の北条氏直が判物状を発給しており、戦国末期においても寺の地位が保たれていたことがわかる。江戸時代には寺子屋を開いて地域の教育に貢献し、明治期には「新戸学校」の設置拠点ともなった。鎌倉仏師・後藤四郎兵衛藤原義貴作の地蔵菩薩立像が伝わる。境内のタブノキは「かながわの名木100選」選定木で、樹齢約400年を誇る。