JR鎌倉駅西口から徒歩10分
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7
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この地で詠まれた句
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墓参して寿福禅寺の梅にあり
寿福寺には虚子が眠る。生前の虚子が墓参の際、この寺の梅に心を寄せて詠んだ句。虚子没後は毎年「虚子忌」に門下の俳人がこの句を手向ける。
災厄消除・方位除け・疫病退散。不動明王・観音・祇園の神を祀る寺社で特に祈願される。
御祭神「釈迦如来」のご神徳に由来
お祭り・行事
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鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の菩提寺として、また北条政子が開基した鎌倉五山第三位の寿福寺の施餓鬼会。臨済宗の名刹として、お盆の施餓鬼法要が厳かに行われる。北条政子・実朝ゆかりの鎌倉の歴史が息づく荘厳な夏の仏事。
正治2年(1200年)、北条政子が亡き夫・頼朝の父・源義朝の旧邸跡に栄西を開山として創建した鎌倉五山第三位の禅寺。本尊は釈迦如来。茅葺きの総門は鎌倉時代の建築として重要文化財に指定されている。裏山のやぐら(岩窟墓)には政子と三代将軍・実朝が並んで眠り、源氏将軍家の悲劇的な終焉を伝える。鎌倉駅西口から徒歩10分の閑静な地に位置し、落ち着いた境内は散策に最適。栄西は日本に茶を伝えた禅僧でもあり、境内に茶の木が植えられている。
正治2年(1200年)、北条政子が夫・源頼朝の菩提を弔うため、栄西を開山として創建した鎌倉最古の禅寺。この地は頼朝の父・源義朝の旧邸跡でもある。栄西はここで将軍源実朝に茶を献じ、日本初の茶書『喫茶養生記』を著した。鎌倉五山第三位。政子と実朝の墓が裏山にある。
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関連する歴史的事件
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1219年(承久元年)1月27日、鶴岡八幡宮で源実朝が甥の公暁(くぎょう)によって暗殺された事件。右大臣拝賀の儀式を終えて石段を降りる実朝を、源頼家の子・公暁が待ち伏せして殺害した。公暁はすぐに北条義時の郎党に討ち取られた。28歳で非業の死を遂げた実朝は歌人としても知られ、後世に高い評価を受けた万葉調の歌を多く残した。実朝の死により源氏将軍の血統は絶え、幕府は藤原氏・皇族から将軍を迎えるようになり、北条氏の執権政治がより確固たるものとなった。政子の悲しみは深く、実朝の菩提を弔うために寿福寺を手厚く庇護した。
鎌倉に50年を過ごした俳人・高浜虚子(1874-1959)は寿福寺に葬られた。忌日の4月8日は「虚子忌」「椿寿忌」と呼ばれ、毎年墓前で追悼句会が開かれる。北条政子・源実朝の墓と同じ扇ガ谷の奥に虚子の墓があり、『ホトトギス』主宰として近代俳壇を率いた大宗匠の眠る地として、いまも多くの俳人が参詣に訪れる。
正治2年(1200年)、夫・頼朝の死後に政子が栄西を開山に招いて創建した寺。頼朝の父・義朝の旧邸跡地に建てられ、政子と実朝の墓が裏山のやぐらに安置されている。政子にとって夫と息子の菩提を弔う最も大切な場所であった。
寿福寺は頼朝の父・源義朝の旧邸跡に建てられた。頼朝自身はこの地に寺を建てることを願っていたとされ、死後に妻・政子がその遺志を継いで創建した。源氏の本拠地としての歴史を受け継ぐ鎌倉五山第三位の名刹である。
建保7年(1219年)に鶴岡八幡宮で暗殺された実朝は、母・政子が創建した寿福寺の裏山のやぐらに葬られた。母の墓と並ぶその姿は、源氏将軍の悲劇的な最期を静かに物語っている。
義時は姉・政子が創建した寿福寺を北条氏の菩提寺として庇護した。政子と実朝の墓がこの寺の裏山に安置されており、義時にとっても姉と甥を偲ぶ場であった。
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