平安時代末期、北面の武士・遠藤盛遠は友人の妻・袈裟御前に横恋慕し、夜陰に乗じて夫の渡辺渡を殺そうとしたが、身代わりになった袈裟御前を誤って斬ってしまった。深く悔いた盛遠はその場で出家し、後に文覚上人と名乗った。文覚は袈裟御前の菩提を弔うべく伏見下鳥羽の地に一宇を建立したのが当寺の起源とされる。本堂には本尊阿弥陀如来像のほか、袈裟御前・渡辺渡・文覚上人の木像が安置される。境内に建つ「恋塚」の石塔は袈裟御前の墓と伝えられ、往時より縁結び・悪縁切りの信仰を集めてきた。この悲恋の物語は鎌倉時代の軍記物「源平盛衰記」に記され、近代には芥川龍之介の短編小説「袈裟と盛遠」(1918年)や菊池寛「袈裟の良人」…