大同2年(807年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討の際にこの地に堂宇を建立したと伝わるのが如宝寺の起源とされる。その後、弘法大師・空海との縁により真言宗の寺院として基盤を固めたと伝えられ、真言宗豊山派の郡山地方における中心寺院としての地位を築いた。鎌倉時代には現存する梵鐘が鋳造され、のちに国の重要美術品に指定されている。近世に入ると、徳川秀忠の次女・珠姫(加賀藩主前田利常の正室)から灯篭の寄進を受けるなど、有力大名家との結びつきも持った。本尊の十一面観世音菩薩は秘仏として厳重に祀られ、奥州三十三観音霊場の第16番札所として広く信仰を集めてきた。明治以降の近代化の波を経てもその法灯は途絶え…