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熊野本宮大社
熊野本宮大社
和歌山県
創建
80
種別
神社
アクセス
JR紀伊田辺駅からバス2時間
和歌山県田辺市本宮町本宮
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基本情報
神社
創建 80
1946年目
御祭神・御本尊
家都美御子大神
素戔嗚尊
ご利益
縁結び
厄除け・災難除け
交通安全・海上安全
五穀豊穣
良縁成就・恋愛成就・夫婦円満。出雲大社・地主神社・川越氷川神社などが有名。
御祭神「家都美御子大神(素戔嗚尊)」のご神徳に由来

お祭り・行事
1

4月
13
熊野本宮大社例大祭
熊野三山の中心・本宮大社の例大祭。湯登神事や渡御祭など古式ゆかしい行事が行われる。
概要
熊野本宮大社は和歌山県田辺市本宮町に鎮座する熊野三山の中心社で、全国に約3,000社ある熊野神社の総本社。主祭神は家都美御子大神(けつみこのおおかみ)で、素戔嗚尊の別名とも伝わる。創建は崇神天皇の時代と伝わり、平安・鎌倉時代には「蟻の熊野詣」と称されるほどの上皇・貴族・庶民による大規模な巡礼が繰り返された。旧社地・大斎原(おおゆのはら)には日本最大の鳥居(高さ約34メートル)がそびえ、かつての壮大な社殿の名残をとどめる。八咫烏(三本足のカラス)は熊野の神使として有名で、日本サッカー協会のシンボルマークにも採用されている。
由緒
創建は第10代崇神天皇の御代(紀元前後とも伝わる)と伝えられるが、詳細は不明である。社殿は熊野川・音無川・岩田川の合流する中洲「大斎原(おおゆのはら)」に築かれ、長く信仰の中心となった。平安時代中期には宇多法皇が参詣(907年)して以来、上皇・天皇による「熊野御幸」が盛んとなり、白河上皇9回、鳥羽上皇21回、後白河法皇34回、後鳥羽上皇28回と記録されるなど、院政期には皇室祭祀の中核を担った。後白河法皇の34度の参詣は熊野信仰の最盛期を象徴する。平安末期から鎌倉時代にかけては貴族だけでなく庶民も加わり、「蟻の熊野詣」と称される大規模な巡礼が繰り返された。鎌倉時代には源頼朝・北条氏も熊野信仰を篤…
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北条政子とのつながり
北条政子も熊野信仰を篤く崇敬し、頼朝亡き後の鎌倉幕府の宗教政策において熊野三山への庇護を継続した。政子は熊野本宮への代参や祈願を行い、源氏一門の鎮魂と幕府の安泰を祈った。鎌倉時代を通じて執権北条氏のもとで熊野信仰は武家社会に深く浸透し、「蟻の熊野詣」と称される庶民参詣の隆盛を支える基盤となった。
go-shirakawaとのつながり
後白河法皇(1127-1192)は生涯で34度に及ぶ熊野御幸を行い、歴代天皇・上皇の中で最多を記録した。法皇の熊野信仰は院政期の宗教政策の中核を成し、本宮を中心とする熊野三山への所領寄進・社殿造営支援・神輿渡御の整備など多岐にわたる庇護を行った。法皇の御幸は熊野信仰を全国に広める原動力となった。
源頼朝とのつながり
源頼朝は熊野信仰を篤く崇敬し、文治年間(1185-1190年)に熊野三山へ多くの所領を寄進した。鎌倉幕府成立後も熊野本宮への奉幣・祈願を欠かさず、熊野信仰を武家政権の宗教的支柱の一つに位置づけた。熊野別当家が源平合戦で源氏側についたことから、頼朝にとって熊野は重要な宗教的同盟者でもあった。
宇多天皇とのつながり
宇多法皇(867-931)は延喜7年(907年)に皇族として初めての熊野御幸を行い、以後の歴代上皇・天皇による熊野詣の制度化の起点となった。宇多法皇の参詣は熊野信仰が皇室祭祀の一翼を担うようになる画期的な出来事であり、後の院政期の御幸隆盛の基礎を築いた。

ゆかりの人物
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