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JR松本駅から徒歩約15分
長野県松本市丸の内4-1
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慶長年間(1593〜1594年)に石川数正・康長父子が築いた国宝指定の現存十二天守のひとつ。黒と白のコントラストが美しい五重六階の天守は戦国時代末期の築城技術の粋を集めた傑作で、日本最古の五重天守とされる。北アルプスを背景に堀に映る姿が絵になる絶景の城で「烏城」の別名でも知られる。武田信玄が信濃を支配した時代の城の遺産を受け継ぎ、明治期に取り壊しの危機を市民運動で救われた歴史も持つ。天守内の鉄砲コレクションも名高く、世界中から観光客が訪れる松本を代表する名城。
松本城の地には、戦国時代に深志城として小笠原氏が築城したとされる。武田信玄が信濃に侵攻した1550年代には武田氏の支配下に置かれ、信濃経営の拠点となった。1582年の天正壬午の乱を経て徳川氏の勢力圏に入り、石川数正が徳川家康のもとを出奔して豊臣方に帰順すると、1590年に数正が松本城主となった。現存する五重六階の天守は、数正の子・康長の時代にあたる1593〜1594年(文禄・慶長期)にかけて完成したと考えられており、日本最古の五重天守とされる。江戸時代には城主が幾度か替わりながらも城郭は維持された。明治維新後、廃城令の流れのなかで天守取り壊しの危機に瀕したが、地元の市民や篤志家による保存運動に…
天正10年(1582年)の武田征伐において、織田信長の軍勢が信濃に侵攻し松本(深志)地域も制圧された。武田氏滅亡により、旧武田領は織田氏の支配下に入ったが、同年の本能寺の変で信長が没すると情勢が一変。現在の松本城天守は、後に入封した石川数正・康長父子により慶長年間に築かれた。
松本城の前身・深志城(ふかしじょう)は武田信玄が天文19年(1550年)頃に信濃支配の拠点として整備した。武田氏の松本地方支配の中心として機能し、信玄はここを拠点に北信濃・伊那谷への侵攻を展開した。武田氏滅亡後に小笠原氏が深志城を奪回し、城と城下町の名を松本と改称した。
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