大宝3年(703年)頃、元興寺の弁基上人が壺阪の地に草庵を結んだことが開創と伝わる。奈良時代から平安時代にかけて七堂伽藍が整備され、十一面千手観世音菩薩を本尊とする観音霊場として発展し、西国三十三所第6番札所に列せられた。中世には戦乱による被害を受けながらも、諸大名の庇護を受けて再興された。江戸時代には浄瑠璃・歌舞伎「壺阪霊験記」の舞台として名を馳せ、盲目の夫(沢市)を信仰で支えた妻(お里)の説話が広く流布した。明治以降はインド仏教界との交流が進み、大型石造仏像が境内に奉納された。現在も西国巡礼の重要霊場として参拝者が絶えない。