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JR中野駅南口から徒歩3分
東京都中野区中野3-35-2
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事業繁栄・開店繁盛・取引成功。稲荷神社や恵比寿神社で広く祈願される。
御祭神「宇迦之御魂神(豊川荼枳尼真天)」のご神徳に由来
東京都中野区中野に鎮座する稲荷神社。中野駅南口から徒歩数分の住宅街に静かに佇む小社で、朱塗りの鳥居と囲いに守られた社殿が地域の参拝者に親しまれている。社殿前の幟に「豊川荼枳尼真天」と記されることから、愛知・豊川稲荷(妙厳寺)の御分霊を勧請したものと伝わる。社名「桃園」は江戸時代中期、8代将軍徳川吉宗が鷹狩の地としてこの一帯を愛し、享保5年(1720年)頃から桃の木を植えさせて景勝地「桃園」を造らせた故事に由来する。桃の花が咲く桃園は『江戸名所図会』にも描かれ、当初は将軍の御遊息の場であったが、江戸後期には一般庶民にも開放され、隅田川・飛鳥山と並ぶ江戸花見の名所として賑わい、現代の庶民花見文化のルーツの一つとなった。旧町名「桃園町」はこの景勝地の名残で、桃園稲荷はその記憶を今に伝える貴重な地域史跡である。JR中野駅南口から徒歩3分。
創建年代は不詳。社殿前の幟に「豊川荼枳尼真天」と記すことから愛知・豊川稲荷の御分霊を勧請したものと伝わる。地名「桃園」は享保年間に8代将軍徳川吉宗が鷹狩のため中野を訪れた折、この地を気に入って桃の木を植えさせ景勝地「桃園」を造らせたことに由来し、当社の社号もこれに因む。桃園は当初将軍の御遊息の地であったが、江戸後期には一般庶民に開放され隅田川・飛鳥山と並ぶ江戸三大花見の名所となった。明治以降「桃園町」の町名として残り、昭和の町名改正で消滅したが、当社は桃園の記憶を伝える地域史跡。
享保年間(1716-1735年)、8代将軍・徳川吉宗は5代将軍綱吉の生類憐みの令で廃止されていた鷹狩を復活させ、享保元年(1716年)9月には中野にも鷹場を再興した。鷹狩のため度々中野を訪れるようになった吉宗は、この一帯の景観を愛し、享保5年頃から桃の木を植えさせて景勝地「桃園」を造らせた。桃園は将軍の御遊息の場として整備され、後には庶民にも開放されて江戸の花見文化の礎となった。現在の中野駅南口一帯に広がっていた桃園の記憶は、当社の社号「桃園稲荷」と旧町名「桃園町」、そして『江戸名所図会』の記録に残されている。
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